2018



鼠径ヘルニア〜その後〜

2018.12.21(fri)

それは、タイムスリップしたかのようだった。

催眠術師のようなセリフを語る麻酔師の言葉を聞きながら
体が少し熱くなったかと思うと次の瞬間、完全に意識を失った。

気が付くとそこは手術室ではなく元居た入院部屋で、周りでは慌ただしく
数人の看護師が自分の体の至る所に管のようなものを取り付けていた。

「無事に終わりましたよ。大丈夫ですか?」

看護師の優しいかけ声が耳に入る。

「そうか、オレは今日、手術したんだ。」
「もう終わったんだ。目が覚めて良かった。。」

少しボンヤリとした意識の中で自分が生きていることに感謝した。

今年の夏、尿路結石の検査で偶然発覚した「鼠径ヘルニア」という症状
を治す自分としては人生初の全身麻酔&体にメスを入れる手術だった。

正直なところ少し怖かったが、先生の「気が付いたら終わってますよ」
という言葉を信じるようにしたので、緊張はほとんど無かった。
むしろ、緊張するヒマさえなく眠らされていたというのが正しいかも知れない。

しかも、その言葉の通り本当に気が付いたら終わっていた。
手術中、少しは覚醒するかと思ったが、全く覚えていない。
ふと時計を見ると、手術開始から4時間もかかったいた。
覚めたあとに痛みもほとんど無く、4時間分の時間だけが飛んでいた。
正にタイムスリップ、最新の麻酔技術がこんなにも進んでいたとは!

驚きなのは麻酔だけではない。
今回の手術、体に大きな傷を残すことなく、腹部に3つの小さな穴を
開けるだけで内視鏡とカテーテルで施術することが出来る。
飛び出したヘルニア嚢を切除して内容物(オレの場合は膀胱)を腹部に戻し、
人工シートで補強するといった細かい作業を離れた場所からやるようなものだ。
この方法のお陰で患者の肉体的な負担は最小限になるらしい。
事実、なんと翌日には退院して、普通に自転車で帰宅した。

これでオレの体は頭のてっぺんからつま先まで何も悪いところはなくなった。
新生「オレ」だ。文字通り「生まれ変わった気持ち」で来年に臨みたい。


トイレ新調 2018.11.26(mon) 午前中にレントゲン検査を予定していたので、折角なので一日休暇にして 午後は前から気になっていた自宅1階のトイレ工事を当てることにした。 どこからか水漏れしているのと、いよいよウォシュレットの調子が悪く、 まともに使える状態ではなかったからだ。 3階のトイレは5年ほど前に新調したのだが、当時最新式で、人感センサー で人の出入りを関知して蓋の開け閉めを自動的にやってくれるタイプだ。 これなら毎度毎度フタを開けっ放しにする横着男子(笑)の対策も万全だ。 今回もそんなタイプにした。いつもオレは最上級を選ぶ人間なのだ。(笑) と同時に、トイレの床もかなり傷んでいたので張り替えることにした。 工事業者の人は事前の打ち合わせにも来てくれた人で、営業も調整も 作業も兼ねているようで、世の中人手不足でどこも大変である。 さて、4時間くらいかかっただろうか、ようやく作業が完了した。 さすがに最新式だけあって格好がイイ。 これなら誰が来ても恥ずかしくないトイレルームになった。 来月の麻雀大会&牡蠣パーティーが今から楽しみだ。
血管腫 2018.10.19(fri) 尿路結石の時に撮影したレントゲン写真で鼠径ヘルニアが見つかった という話をしたばかりだが、実はもう一つ気になる点があった。 肝臓の一部分が白く写っているというのだ。 そんな言われ方したらメチャメチャ気になるではないか。 という訳で、あらためて造影剤を投与しての再検査を受けることになった。 この造影剤、血液の流れをCT写真で見やすくするものらしいのだが、 投与した途端、体が大丈夫かというくらい熱くなってちょっと怖かった。 かなりの枚数撮影し、待合スペースでドキドキの結果待ち。 この時間は本当にイヤなものだ。 結果は問題なし。 要するに悪性の腫瘍(癌)ではなく、良性の血管腫というもので、 毛細血管がその部分で活性化しているようなものらしい。 なので、このまま放置しても問題はないようだ。 今回は本当にホッとした。この歳で死にたくはない。 まだまだ手を付けていないガンプラが沢山あるのだから。笑
目線を高く。 2018.09.16(sun) 別に「物の見方を変える」とかそういう哲学チックな話 ではなく、「ある物」を変えてみたら今までよりも 文字通り「目の位置が高くなった」というお話である。 「ある物」とは、「靴」である。 何のことはない、昔からある所謂「底上げ靴」のことなのだが、 たまたま八重洲あたりをブラついていて「背が高くなる靴」という 大きな看板が目に入ったので半分興味本位で立ち寄ってみた。 店頭に並ぶ靴はどれも一見何の変哲もない普通の靴なのだが、 手に取ってよく見ると確かに踵部分が異様に厚底になっていて、 「男性用ハイヒール」と言うべき代物だった。 当然、履いてみたくなる訳で、幾つかカジュアル系の靴を履いて みたところ、意外に違和感もなく、普通に歩けそうな感じ。 そして、いつもより格段に「目線が高く」なっていることに気づく。 「なんじゃこりゃー」とまでは思わなかったが、 想像していたよりも効果がありそうだ、ということで フォーマル系とカジュアル系それぞれ1足ずつを即購入。 先日の自毛植毛とイイ、今回の上げ底靴とイイ、世の中には こんなにも自分の劣等感を払拭してくれる技術があるではないか。 そうしみじみと感じざるを得ない初秋の月夜だった。
戦車模型ふたたび。 2018.08.23(mon) ガンプラを作り続けて早10年!、若干飽きてきた感もあったので、 お盆休みを利用して、実家に帰省している数日間のヒマな時間で、 久しぶりに戦車模型をゆっくり&じっくり造りたくなった(オレの本能)。 選んだキットは前から気になっていた
RYE FIELD MODELPANTHER Ausf.G(Full Interior) (限定版)、ヨドバシで9500円くらい。 フルインテリアなので、1/35戦車模型にしては高額だ。 何が限定版かというと、車体や砲塔など一部のパーツがクリアなのだ。 なので、フルインテリア(内部構造)が丸見えになっちゃう訳だ。 RYE FIELD MODELは香港の模型メーカーだけど、キットを見て正直驚いた。 ガンプラを久しぶりに造った時は、その可動域や接着剤不要などに驚愕したが、 これまた久しぶりに戦車キットに戻ってみて、その精密さとパーツ数に驚いた。 いやー、10年ほどの間にこれほど進歩しているとは! とにかく、パーツの一つ一つが細かくてモールドがハンパ無く精密なのだ。 さらにはエッチングパーツが鬼のように付属しているので、若干気が遠くなる。 それを一つ一つニッパーで切り離しては(時々無くすw)接着剤で固定していく。 プラモデルとしては当たり前の作業ではあるが、これがこんなに楽しいなんて! しばらく忘れていた楽しさを思い出した感覚だった。 さすがに夏休みの数日間では組立すらも終わらず、残りは冬休みにとっておくことにした。 さらに塗装するとなると完成するのは数年後か。。。それも楽しみだ。
鼠径ヘルニア 2018.07.23(mon) 難しい字だが、鼠径と書いて「そけい」と読むようだ。 実は約2ヶ月前の忘れもしない5月31日、またもや尿路結石が発症した。 最初の発症が2005年2月、次が2016年2月、そして今回が3回目だ。 初回から2日目が10年以上かかっていたので、「次は10年後」 なんて高を括ってたら、今度はわずか2年半で再発した。 その日は木曜日で仕事だったが、さすがに腹痛を抑えきれず、 またもや救急車を呼んで病院へ救急搬送された。 最初に搬送された病院(広尾病院)でCTスキャンを撮るが、結石が あることを確認しただけで、「ここでは治療は出来ない」と言われ、 目黒にある別の病院(厚生中央病院)に搬送されたが、ここで、あろう ことか前の病院がオレにCTスキャン写真を渡し忘れるという大失態。 「もう二度と広尾病院には行かない」と心に決めた。 結局、厚生中央病院の医師の判断で、手術するほどではなく、 痛み止めと、結石を流す作用がある薬、尿管を拡げる作用がある 薬などを約1ヶ月飲み続けるという治療を受けることになった。 (その日の午後は予定通り顧客訪問するというウルトラCだったが。笑) そして、今日(7/23)、その結果をCTで撮影する日がやってきた訳だ。 その結果、医師の判断は・・・「問題なし」だった。 最初に映っていた結石の影は無くなっており、尿路結石は快復した。 ところが、だ。別の病気が新たに見つかった。 「鼠径ヘルニア」その聞き慣れない病名を聞いた時はヘルニアの 一種かと思ったが、医師は明らかに腰痛とは違う場所を指していた。 その患部は下腹部の左側で、実は自分でも前から気になっていた場所だった。 下腹部の右側に比べて左側だけかなり下に張り出したように膨張していて、 普段は問題ないが、長時間歩いたり立ちっぱなしだと痛みを感じるようになる。 母親にあとで聞いたところ、物心付く前からその「下腹部左側」が膨張していて いわゆる「脱腸」の処置としてバンドで止めるなどの対応をしていたらしい。 ・・・う〜ん、全く覚えていない。(笑) それが中年の今ごろになって発症した、というか、それこそ10年くらいは この状態で我慢していたかも知れない。医師によると中年を過ぎると身体 全体的に筋力が弱ることで良く発症する珍しくはない症状なのだそうだ。 いずれにしても、手術が必要とのことだったが、はみ出ている「ヘルニア」の 部分は腸ではなく膀胱であったため、緊急を要するものではないとのこと。 とは言え、放置は出来ないので、2〜3日の入院も想定して 年末の時期(12月末)に手術の予約を入れることになった。 前回(2015年12月)の椎間板ヘルニアの入院に続き、入院保険が大活躍だ。(笑) 笑ってる場合ではない。年々、確実に身体にガタが来ているので、 一つ一つしっかり養生していこうと思う。
自毛移植手術 2018.06.30(sat) 前々から気になってはいたのだが、前髪の後退がここ2〜3年で特に 進行してきたような気がするので、思いきってやってみることにした。 自毛を使った植毛、「自毛移植手術」だ。 男性型脱毛症いわゆるAGAの治療には薬や人工植毛などがあるが、 この移植手術は文字通り自分の毛を使って気になる部分を補うため、 移植手術後の拒絶反応の心配がほとんど無いのが特徴だ。 カウンセラーの人曰く、薬は脱毛の現象を遅らせることは出来ても、 抜け落ちた場所から新たに発芽させることは非常に難しい、とのこと。 確かにそうだ。近くにそんな人をカツラ以外で見たことがない。 その点、この自毛移植であれば、もともと元気で将来も抜け落ちる リスクの少ない後頭部などの毛根を使うので抜け落ちる心配もなく いきなり増えるのではなく、自然に増やすことが可能なのである。 以前から、自毛を使う方法はあったらしいが、後頭部の広い部分を 剥ぎ取るような手術であったため、患者への負担が大きかったらしい。 最近では、1mm以下の極際パイプを回転させて毛根を間引き採取し、 それを移植したい箇所に同様のパイプで穴を開けてそこに植えていく という、まるで「田植え」のような手法が可能になっているのだ。 しかも、その費用は年々下がっていて、ついこの4月からも30%ほど 価格が下がったばかりだという。ようやく庶民でもこの施術が使える ようになってきた訳だ。とは言っても、基本費用20万円と1株※あたり 900円ほどかかるので、今回のオレのように1500株もやるとなると、 140万円ほどの費用負担にはなるが。(まだ少ない方らしいが ^^;) ※植毛の単位。個人差はあるが1株あたり1〜4本程度の髪の毛を含む。 以前から、後頭部の髪の毛が多くて鬱陶しく思っていたオレは 「後ろの毛を前にもって来れないかなあ」なんて考えていたので、 この医療技術の存在を知った時は、まさに「目からウロコ」だった。 今日はその施術当日だった。朝9:00からクリニックに入り説明を受ける。 まず、毛根を採取するため、後頭部をバリカンで刈り上げ、数カ所に 局所麻酔を打つ。この後頭部への麻酔が一番痛かったかもしれない。 あとは睡眠導入剤のおかげでいつの間にか深い眠りに落ちており、 気が付くと毛根の採取も半分ほどが過ぎたほどだった。 睡眠導入剤のせいなのか分からないが、少し気分が優れなかったが、 途中休憩を挟んで次はいよいよ前頭部への毛根移植だ。 と思っていたが、まずは移植のための「穴」を開けるらしい。 事前に執刀医と打ち合わせた「移植先エリア」に1500株分の穴を これまた極細のパイプでネジ開けていく。これが痛そうに思うが、 頭皮がもともと薄いせいか、局所麻酔が効きまくっていて、まるで ヘルメットに穴を開けられているような感覚で全く痛みを感じ なかった。これは痛みを覚悟していただけに精神的に凄くラクだった。 そして最後は穴に株を植えていく訳だが、この作業は何と執刀医ではなく、 看護師のお姉さんx2人の仕事だった。それほど簡単な作業なのだろうか。。 専用の空気圧を利用した「田植機w」を使って株を植え続けること 1〜2時間、ようやく全ての田植えが完了し、施術は無事に完了した。 施術に要した時間はカウンセリングを除くと5〜6時間くらいだろうか。 その日に帰ることが出来るなんて、正直なところ思っていなかった。 技術はいろいろな分野で本当に日々進化しているのである。 ただ、植えた毛根がちゃんと生え揃うのは個人差もあるが半年後だという。 理由は良く分かっていないらしいが、一度移植した毛根は移植して 1〜2週間後から、約2〜3ヶ月にわたって抜け落ちる現象があるらしい。 しかし、一度抜け落ちてリセットされたら、あとは伸び続けるとのこと。 さて、暫く会ってない友達にも、ちょくちょく会うようにしないとな。(笑)
新しい命 2018.05.10(thu) 今年初めの魚類大量絶滅(虐殺?)から約4ヶ月、 色々と新しくなった水槽でようやく新しい命が産まれた。 産まれたのは、やはりプラティの仲間、黄色の素地に ミッキーマウスのような黒い斑点が可愛いプラティだ。 何が色々と新しくなったかというと、こんな↓数々の新兵器を導入。 (ウチの玄関はさながら水族館の一角のような様相だ。笑) ・「外部フィルター」を水中ポンプ式から外部ポンプ式に変更。        ・これからの季節、水温の上昇が気になるので「冷温機」を導入。       ・光触媒によりコケの発生を抑える「スパイラル・フィルター」を導入。    ・注水と同時にエアレーションも兼ねる「ディフューザー」の導入。      ・ディフューザー導入に伴い水圧を上げるため超小型の「外部ポンプ」を導入。 ・超微細な泡によるエアレーションを実現できる「スーパーバブラー」の導入。 ・そして、水質改善のため、生物兵器「たにし」の大量投入!笑        ただ、最近ちょっと稚魚が増えすぎた感があり、どうしたものかと。 熱帯魚屋さんで買い取ってくれないかな。。。(悪い子)
ゴールド免許と愛車 2018.04.30(mon) 今月は3年ぶりの免許更新だったのだが、よーやく、ゴールド免許が貰えた。 過去の免許証を一応取ってあるのだが、数えると何と12年ぶりになる。 顔写真も青年からオッサンにみるみる変わっていく様子が分かりやすい。w その間、色々あったが、違反として強く記憶に残っているのは、 あの2011年の震災直後の近隣住民(隣のオヤジ親子)とのゴタゴタだ。 完全に相手の難癖だったが、その場を納めるためオレが罪(接触事故)を被った かたちになった。それが尾を引いてゴールドまで何年もかかってしまった。 今思い出してもあの不動産ヤクザ親子は本当に腹立たしい。 しかし、今では車も新しくなった。また性懲りもなくハイブリッド車だ。 「アクア・クロスオーバー」先代のプリウスより小型だが燃費も良く、何より サイズがウチにちょうどイイ。後ろのハッチが車庫天井にぶつからないのだ。 先代のプリウスはウチには少々サイズオーバーだったのだろう、 何度も前の壁で擦ったり、後ろのバンパーに当てたりしていた。 その車庫には録画機能付き監視カメラも設置し、防犯対策も万全にした。 スマホから何処にいながらでも車庫の様子がうかがえる、時代も進んだものだ。 毎週末のドライブが楽しみだが、今度はゴールド免許を大事にしたいと思う。
サラリーマン人生最大の休暇 2018.03.24(sat) 13年前の2005年の春、転職した際に2週間の休暇を得ることが出来たが、 これを超える、なんと3週間という長大な休暇を取ることになった。 安心して下さい、クビになった訳ではありません(笑)。 ウチの会社は、50歳になったら多少のボーナス支給と「その年度内」 という制限があるものの、3週間という長期の有給休暇を貰えるのだ。 「いつ取ろうか」悩んでいるうちに年度が終わってしまいそうだったので、 意を決して、この一番忙しい年度末に休ませて頂くことにした。 当然、その準備は引き継ぎなど大変だったが、幸いなことに今はリモート から自宅で仕事が出来る環境なので、それほど仕事への影響はなかった。 さて、小学生なら「3週間何して遊ぼうかな」なんて言いそうなもんだが、 大人で賢明なオレは(笑)、こんな壮大なスケジュールを計画し実行した。 1周目・・・親の上京、横浜&都内観光           2周目・・・実家に帰省し、関空からシンガポール旅行    3周目・・・帰京し熱帯魚など趣味に没頭、免許更新(GOLD!) 明日でこの現実逃避週間(月間?)も終わりを迎える。 週明け、会社に席が残っていることを願うばかりだ。(笑)
夫婦生活の終焉 2018.02.28(wed) こんな日が来るとは思わなかった。 先日、妻と離婚した。 「した」と過去形になっているのは、 実は去年12/22に協議離婚が成立していたからだ。 先月にもここで報告しようと思っていたのだが、 例の「熱帯魚全滅事件」があったりで今月になった。 昨年は離婚調停に明け暮れる辛い1年だった。 (旅行に行ったのも、それを紛らわすためかもしれない) 住宅を含めた財産分与について互いの主張が対立し、 何度も弁護士との打合せや家庭裁判所での調停を重ね、 ようやく12月に入って妥協点を見いだすことが出来た。 ただ、蓋を開けてみれば何のことはない、当初互いに 主張していた金額を足して二で割ったような金額になった。 それなりに大きな金額を払うことにはなったが、こちらとしては、 妻が家に入れた生活費や家賃の総額程度だったので良しとした。 ※離婚の理由は色々あったと思うがここでは割愛して、  「オレが考える離婚理由」に譲ることとしたい。 14年前、妻に気に入られて結婚できたことは、今でも感謝している。 男として認められた気がしたし、自分を理解してくれる人だと思った。 だからこそ、一生かけて「この人を幸せにしたい」と思って生きてきた。 それが結果として妻を幸せに出来なかったことは、本当に申し訳 ないと思っている。せめて、どうかどうか幸せに生きて欲しい。 この1年、本当に辛かった。時折、楽しかった頃を思い出しては 「申し訳なかった」という気持ちになり、3回は号泣しただろうか。 しかし、そのたびに少しずつ気持ちが楽になり、少しずつ忘れて、 少しずつ前に進むことができる切っ掛けとなったのも事実だ。 今、オレは新しい出会いも有り、前向きに過ごし始めている。 年始のおみくじでオレにとっては珍しく「大吉」を引いた。 正月の家族麻雀では生まれて初めて「役満」をあがった。 辛いことがあった次は必ずイイことがある。 人生なんてそんなものだ。
ぜんぶ死んだ。 2018.01.08(mon) 先月、プラティの赤ちゃんが生まれたという嬉しい話をしたばかりだが、 残念なことに、正月早々、親子共々ぜんぶ死んでしまった。 原因は自分が居ない間に、ある人物によって水槽の電源を落とされたこと。 熱帯魚は一般的に「20℃以下で24時間以上経過すると致死率が90%を超える」と言われている。 俺はその時、実家の兵庫に帰省していたが、リモートで電源の状態が分かっていた。 俺は、その人物に再三にわたり電源を入れるよう催促したが、 自分の都合だけを理由にとうとう24時間以内に応じることはなかった。 年末、小雪の舞う東京で丸2日間以上、おそらく水温は10℃以下になっていた。 実家から帰京した俺は、半ば諦めてはいたが、同時に 「もしかしたら、何匹かは耐えて生き残っているかも知れない」 と淡い期待を胸に自宅玄関のドアを開け、そして愕然とした。 「生きている魚が全く居ない!」 ある者は無残にも腐ったようなボロボロの状態で水面に浮き、 ある者は骨が見えるバラバラの状態で水底に横たわっていた。 「寒かったろうに。辛かったろうに。本当にごめんな。。。」 水槽に向かって両手を合わせ、冥福を祈った。と同時に目に涙があふれてくる。 「何故、何の罪もない魚達がこんな目に遭わなくてはならないのか!」 その人物は人間の心を持っていない。 おそらく、涙を流しながら水槽を掃除する俺の気持ちなど永久に分からないだろう。 そして俺は、その「人物」を一生恨み続けるだろう。


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