社会について


麻雀の流儀
2023.04.21(fri) 半年くらい前からだろうか、最近、ネット麻雀にはまっている。 インターネット対戦なので、もちろん相手は人間だ。 ただ、オレは2つだけ絶対に守っているポリシーがある。 1つは絶対に課金しないこと。 基本的には課金せずとも、勝利したりボーナスで貰える仮想的な チップでプレイできるのだが、課金すればチップをもっとたくさん 入手できるので、イベントなどでより良い戦績を残すことが出来る。 だが、オレは絶対に課金しないことに決めている。 理由は、課金してまで勝っても「得られる物は何もない」からだ。 もしろ、課金しないで勝つことに意義を感じることが出来る。 もう1つは、今回ここで一番言いたかったこと。 それは、麻雀のルールに関することなので、麻雀を知らない人は なんのことか分からないだろうが、それは「無し無し」でやること。 オレがはまっているネットゲームは「有り有り」ルールなのだが、 あえて、自分自身に厳しいルールである「無し無し」で打っている。 それは、「後付け※1」ならまだしも、「喰いタン※2」が許せないからだ。 ※1)役を確定させない状態でロンで上がること      ※2)ポンやチーなどで鳴いた状態でタンヤオを上がること 役満や刻子で構成される役以外のほとんどの役では、鳴いたら 一翻下がるのが当たり前の中、なぜ喰いタンだけ食い下がらない? それが許されるなら、食い一盃口とか、食いツモとかも許されるべきだ。 ポン、チー、ポン、チー、ロン! って、おいおいドンジャラかよ。。って思う。 こんなのは小学生にだってできる。 ゲームだと基本は「有り有り」ルールだが、喰いタンする奴は心から蔑む。 たとえレーティングが高かろうが、喰いタンした時点でカスだと思っている。 「あー、こいつは喰いタンする奴なんだな」と。 もっと言うと、「有り有り」は初心者向けのルールだと思っている。 麻雀を心から愉しみたいなら、是非「無し無し」あるいは 喰いタンだけ禁止の「無し有り」で打つことをお勧めする。 「有り有り」の単純さやスピーディーさも否定はしないが、 「無し無し」でやるときの緊張感や奥深さは「有り有り」では味わえない。 ちなみに、俺はリアルでも「無し無し」でしか打たないことにしている。 「有り有り」のぬるま湯お子ちゃま麻雀に ドップリ浸かった輩は賛同できないだろうけどね。笑
EVの時代?
2023.01.06(fri) ○っぱ寿司で食べたサンマが原因で食あたりに苦しんだ年始を 過ごしておりますが、皆様、今年も宜しくお願い申し上げます。笑 さて、そんな冬真っ最中ですが、昨年末より気になっているニュースがあります。 「北陸地方で豪雪の中、車が立ち往生」 毎年のことのように思いますが、最近ふと思うことがあります。 「これが電気自動車=EVだったらどうなるのだろう」 ハイブリッドやガソリン車であれば、近くにガソリンスタンドがあれば、 JAFなどに燃料を輸送してもらって何とか持ちこたえることが出来ます。 が、EVだとなかなかそうもいかず、非常に扱いに困るようです。 皆さん、EVって最近開発された新しい技術だと思ってませんか? これが、まずとんでもない間違いなんです。 考えても見て下さい。EV=電気自動車って、「電気だけで」走る車なんです。 そんなもの、昭和時代、お金持ちの子供のオモチャにだってありました。笑 事実、○マダ電機とか、家電量販店でも簡単に開発できちゃうんです。 つまり、仕組みは非常に簡単で、難しいのは電池の性能と重量だけなのです。 EVについては、以前から「本当にエコなの?」と言われてきました。 そもそも、電気を作る段階で二酸化炭素(CO2)が発生しているのではないか。 特に日本では全発電量の約70%が火力発電です。発電するほどCO2が発生します。 そもそも、電池を製造するのに大量のCO2を発生させているのではないか。 さらには、地球温暖化の原因がCO2であるかどうか誰も証明できていない、などなど。 それを差し置いても、運用上、致命的な問題が幾つかあります。 一つは、充電に長大な時間がかかること。どんなに短くても30分程度はかかります。 これに、充電待ちで列をなすようになると、何時間かかることやら。 <EVの主なデメリット> ・充電に30分以上かかるため、EVスタンドに集中すると数時間の充電待ちが生じる。 ・EV電池は劣化が激しく、中古車として売却するリーセルバリューが極小である。  ・EV電池の生産に必須であるリチウム等のレアアースは中国に依存せざるを得ない。 ・EV電池に含まれる有害物質の廃棄処理について、あまり議論されていない。    ・EV一辺倒では、これまで培ってきたエンジン技術が陳腐化し、雇用も減退する。  ・そもそも、節電が叫ばれている中、電気だけを使う乗り物に矛盾がある。     そして、最大の欠点は、電欠です。 渋滞や立ち往生になった場合を想定してみて下さい。 豪雪の中、エアコンを消してひたすら耐えるしか有りません。 こんな電気自動車、買う人の気が知れません。 正直なところ、「新しいもの好きな無恥」としか思えません。 では、なぜ、世界的にEVが喧伝されているのか。 それは、トヨタのハイブリッド(HV)が優秀すぎて、他社が追従できないからです。 HVの考え方自体はずいぶん前からありましたが、開発が非常に難しく、世界中の車メーカが あまり真剣に投資してこなかった中、トヨタは地道な開発で量産化にまで漕ぎ着けたのです。 「21世紀に間に合いました。」鉄腕アトムのCMが印象的でしたよね。 この時、世界中の車メーカは、「ホントかよ?」と首をかしげたと思います。 その結果、現在ではどうでしょう。ハイブリッド全盛の時代を迎えています。 ヨーロッパ、特にEUでは、2030年までに全車をEVにすると言ってます。 これは、完全にトヨタのHVを潰しにかかっていると言っても過言ではありません。 「全車をEVにする」だと? 「やれるものならやってみろ」と言いたいですね。 当然、トヨタもこの戦略には気づいていて、「全方位戦略」を打ち出しています。 つまり、EVも選択肢の一つとして、言い換えると、EVは選択肢の一つに過ぎないと。 確かに、EVは街乗りであるとか公共交通機関には向いていると思います。 あとは、お金持ち(笑)のセカンドカーか買い物カーですかね。 とても、遠距離ドライブや、冬の豪雪地帯にスノボーしに行こうなんて思えないでしょう。 まあ、見ていて下さい。 EUの全車EV戦略は2030年を待たずして頓挫します。 アングロサクソン(=ネアンデルタール人の末裔)が考えそうなことですわ。笑
コロナの時代?
2021.01.08(fri) 今日、政府によって、またもや緊急事態宣言が発動された。 今度は飲食店だけを対象に時短要請するという。 東京都の場合、協力した飲食店には一律一日6万円支給すると言うが、 どうなんだろう? 店の規模によっては「喜んで!」という店もあれば、 「やってられない」という店もあるのではないだろうか。 しかも、時短することによって余計に密になったという統計データもある。 どうも、政府や自治体のやることは意味不明な施策が多い。 それはともかく、先日、テレビ朝日の報道番組で或る医者訴えていたが、 「イイ加減このコロナを指定感染症の"第2類"から"第5類"に下げられないものか」 「それによって、一般のクリニックでも患者を受け入れることが出来るように なるので、病床が足りないなど医療崩壊の危機から脱することが出来る」と。 第2類と言えば、あの「エボラ出血熱」などと同じ部類だ。 新型コロナウイルスって、そんなに酷い感染症か? インフルと大差ないことが分かってきたのだろう? その医者は番組の中でこうも続ける。 「人は誰しも何らかのウイルスに感染しているものであって、 それが発症するかどうかは、その人の免疫力による」 「だから、PCR検査をすれば、無症状の陽性者がわんさか出てくる」 「そして、一般的に冬季は気温が低いために、人の免疫力も低下する。 よって、冬に発症者が増加するのは、ある意味当たり前である」と。 そうなのだ、つまりは「人の頑張り」でどうこうできるものではないのだ。 そして、そう訴えた医者は翌日の放送からは見かけなくなってしまった。 日本医師会からのお咎めがあったとの噂もあるようだが、どうなのだろうか。 そろそろ日本国民も、このマスコミの洗脳から目を覚まして欲しい。 何でもない、ちょっと風変わりな風邪ごときで、大騒ぎしているだけだ。 まあ、そのお陰でサラリーマン達は「在宅勤務」という恩恵を受けた訳だが。笑
偽パンデミック
2020.04.19(sun) 「本日、○○県で新たに□人の感染が確認されました」 こんな報道を観てオカシイを思わなくなっているようでは、 完全にテレビに洗脳されていることを自覚せねばならない。 昨年末の中国武漢での新型コロナウイルス発生から4ヶ月あまり、 日本では1万人を突破した、などと毎日々々テレビで喧伝されている。 「突破した」? この言い方に非常に恣意的な意図を感じないか? 昨年(2019年度)のインフルエンザの感染者数をご存じだろうか。 日本全体で、約1千万人である。その内、死者数は1万人ほどだ。 今回の新型コロナウイルス感染者数の実に1000倍だ 死者数で言うと、今現在で200人ほどなので50倍になる。 にもかかわらず、去年、各マスコミはインフルで騒いでいたか? 報道機関の取り決めによると、インフルエンザは感染者数が 週に40万人を超えた時点で報道することになっているらしい。 今年だけ、何故こんなにマスコミは狂ったように騒いでいるのか。 ネット上でも、各SNSでも、恐らくランサーズあたりで雇われた ニート達がコロナの危険を煽るようなツイートばかりあげている。 しかも、新型コロナを唯一検出できるとされているPCR検査だが、 それを提言した人間が後で「他のコロナ風邪も検出してしまう」 ことを吐露している。つまり、報道されている感染者数は単に例年の 普通の風邪(コロナ風邪)をカウントしている可能性が非常に高いのだ。 この騒動を起こした連中の狙いはどこにあるのか。 感染都市から人間を排除して、下落した地価で土地を買い漁るのか。 あるいは、アビガン等の特効薬を世界中に売りまくって利益を上げるのか。 はたまた、金の亡者「日本医師会」が「PCR検査」だの「抗体検査」だので、 国民皆保険を悪用して、もう一儲けしようという浅ましい魂胆か。。。 そのあたりは良く分からないが、このウイルスが「人工」であることが 確実視されている以上、誰かが何かのためにやったことは間違いない。 もしかすると、公明党お得意の「バラマキ政策」で、また創価学会信者から 非課税でお布施させて党の財政を潤すためではないかとすら疑ってしまう。 ちなみに、オレは生まれてこのかたインフルに罹ったことがない。 当然、インフルエンザワクチンなんて、怖くて打てるワケがない。 そんな当たるか外れるか分からないようなワクチンを体内に入れる ようなことを、バカな国民は神の薬の如く崇め、煎じて飲むのだ。 世の中、テレビという一方通行の洗脳装置に洗脳されていることを そろそろ気づいてもイイと思うのだが、全くもって残念でならない。
パラリンピック
2016.09.30(fri) この偽善に満ちた催しを、関係者以外で直視して観ている人間はどれくらいいるのだろうか。 車いすの障害者がテニスラケットを持ち、両腕を失った人が100m走を走る。 申し訳ないが、正直なところ「なんと趣味の悪い祭典か」と思っている。 障害を背負って生きる方々が、一生懸命スポーツに打ち込む姿は 確かに美しいのかも知れないが、もの凄く違和感を感じるのは私だけなのだろうか。 一言で障害者と言っても、その程度がそれぞれ異なるではないのか。 同じ車いすでも、軽度の人もいれば重度の人もいる。 それを一緒にスポーツをさせるというのは、どう考えても無理があるだろう。 聞くところによると、外見上明らかに障害者でないと出場できないという。 なんだその曖昧な基準は! 何という偽善! 何という欺瞞! マスコミも、オリンピックが終わるや否や、こぞってパラリンピックを 報道するが、どれくらい視聴率が取れているのか、本当はやりたくないが イメージが悪くなるので、仕方なく放映せざるを得ないのではないのか。 そんな、偽善に満ちた世界が見え隠れするこの祭典は、ホントに虫酸が走る。 少しでもTVにパラリンピックの映像が流れようものなら、 コンマ2秒以内にチャンネルを変える癖が付いてしまった。 何故、障害者に健常者と同じことをやらせなければならないのか。 そこに無理があるのではないだろうか。 障害者なら障害者なりに、ほかに出来ることがあるはずだ。 例えば、オリンピック会場の周りのゴミを拾うボランティア活動への参加や 運営を円滑に進めるための仕事などでもイイのではないか。 それを報道してくれた方が、よほど微笑ましく映像を観ることが出来る。
ネアンデルタール人と白人種 2014.09.03(Wed) 最近、ミトコンドリアDNAの解析などにより、絶滅したとされるネアンデルタール人は 実は現生人類であるホモサピエンスと交配していたという学説が有力になっている。 私は、ずーっと前から、ネアンデルタール人の体格や白い肌、青い目、茶系の髪、 あるいは化石の発掘がヨーロッパ地域にほぼ限定されることなどから、 ネアンデルタール人は白人種の祖先だと勝手に決め込んでいた。 もし、ホモサピエンスの中にネアンデルタール人の血が混じっているのなら、 白人種の存在が、ものすごく自然に受け入れられるからである。 その考えが正しかったことが、漸く証明されつつあるわけだ。 この考えはたぶん私だけではなく、多くの人がそう思っていても不思議ではないが、 なぜ、今まで「ネアンデルタール人は絶滅した」という学説が信じられてきたのか。 恐らく、白人特有の「白人優位主義」が根底にあるのではないかと考えている。 つまり、人類の正統で最も新しい純血種はホモサピエンスであるため、旧型である ネアンデルタール人の血が混じっている(むしろネアンデルタール人の血が濃い?) ことは、白人種のプライドが許さなかったのではないかと。 ましてや、ナチスの掲げた「ゲルマン民族優位性」なんて、人類科学的にみると 「ちゃんちゃらおかしい」てなことになってしまう。 その証拠に、近年の「混血説」が有力になってくるや否や、野蛮で武骨なイメージで あったネアンデルタール人も「墓に花を捧げていた」とか「野菜を多く食べていた」 とか「意外と華奢で女性は美人だった」とか、やたらと褒めまくるようになってきた。 そのうち、「ネアンデルタール人の血が混じっていた方が人種として優秀」なんて 言い出すのではないだろうか。 私は、人種によって優劣はないと考えている。当然のことである。 それぞれ置かれた環境に適応して進化してきただけのことだ。 肌の色だけで差別するような過去があったことは全くもって悲しむべきことである。
風が吹けば桶屋が儲かる? 2013.09.26(Thu) 俺はこの手のトリビア(雑学)が大嫌いだ。 例えば、先日とあるwebサイトで紹介されていたトリビア。 「朝型人間は、夜型人間より幸せ」というもの。 こんなくだらない調査を有名なトロント大学が調査して発表しているのだ。 この調査は、17〜38歳のグループと、59〜79歳の2グループを対象に 様々な質問を投げかけ、そのポジティブさを計測したものらしいが、 @朝型人間の方がポジティブな性格が多い。 A若者には朝型が少ない。つまり、高齢者グループの方がポジティブだ。 ということが分かったというのだ。 調査報告では、この理由を「社会的時差ボケ」つまり、世の中は朝型人間に 合ったスケジュールで動いているから、夜型人間は普段の生活の中で自然と ストレスが溜まると結論づけているのだが、果たしてそうだろうか。 ちょっと落ち着いて考えてみて欲しい。 若い人は、その先の人生が長い分、期待も多いが不安も多いものだ。 従って、人生の選択も生き方そのものも慎重になりがちだ。 逆に年老いた人は、今まで生きていた経験でリスクを良く分かっているし、 それを糧にこれからの人生を謳歌できる状況にある。 当然、年老いた人の方がポジティブな気持ちになっていても不思議ではない。 要は、「朝型/夜型」は「ポジティブさ」に関係ないのである。 「朝型」=「高齢者」=「ポジティブ」であっても 「朝型」であることが「ポジティブ」の原因ではないのである。 つまり、江戸の昔からある「風が吹けば桶屋が儲かる」的な話をしている だけであって、何の科学的な根拠もそこには存在しない。 世の中には、この例に限らず、数多くの調査報告があるが、 こういった「眉唾」的なものは、本当にそうなのか、良く考えてみた方がよい。 ちなみに俺は、かなり夜型だが、かなりポジティブだ。(笑)
NHK 2012.09.12(Wed) あえて言おう「横暴である」と。 結論から言うと、NHKの強制集金制度は時代に合わなくなっている。 テレビジョン黎明期の時代であれば、確かに「電波の公用性」という意味があったと思う。 しかし、基本的に無料で使えるインターネット全盛の今の時代において、 一方通行のNHKの番組に必ずしも公共性を感じないし、何より技術的な進歩により、 スクランブルをかけるなど「電波を選択する」ことができるようになった。 なのに、なぜNHKは相も変わらず「強制集金制度」を続けるのか。 その方が儲かるからである。 もし、ケーブルテレビのように加入者だけが電波を受信できるように変えた場合、 確実に収益は減るだろう。当然、NHKもそれくらいの推定はやっているはずだ。 ちなみに、NHK一度契約すると解約するのは至難の業らしい。 最近は、NHKに雇われた集金屋のやり方も度を超し始めている。 今後、契約率が高い高齢者からの収入が減り、余りテレビを見ないと言われる 若い人が対象となってくる。それだけ契約に必死だと言うことだ。 このNHKの焦りが、「ワンセグ機器も対象」なんて横暴を招くのだ。 まだNHKと契約していない人は、今後もNHKとは契約しないことを勧める。 「契約するつもりはありません。TVがあるかどうかをあなたに話す義務はありません」 これで、何の落ち度もなく断ることができるので、参考にして欲しい。
放射能って怖いの? 2011.11.11(Fri) 最近、あちらこちらで「○○マイクロシーベルトという高い放射線量が測定された」 なんてことでニュースになっているが、本当にこれが騒ぐようなことなのか。 複数の研究者は年間250ミリシーベルト程度以下であれば、むしろ健康に良いと言っている。 低線量の放射線を利用した健康に良いとされる施設としては、ラジウム温泉、 ラドン温泉、岩盤浴、整体院の放射線治療など挙げればきりがない。 世界一、放射線量が多いといわれている南米ブラジルのリゾート地ガラパリ黒砂ビーチ。 ここでの放射線量は、「毎時」30マイクロシーベルトで、 「年間」にすると、なんと263ミリシーベルトにもなる。 しかし、このビーチの黒い砂は、リウマチに効くと言われているのだそうだ。 また、発がん者数について周辺の都市と比較した結果、 ガラパリの発がん者数が他の街より低いことも判明している。 もともと、地球には太陽(いわば原子炉)からの放射線が少なからず入り込んできている。 そのような環境において、人間を含めた生命体は進化を続けてきたわけだ。 簡単に言えば、放射線てなものは「焚き火」と同じで、近づきすぎると火傷するが、 適度に距離をとれば暖かく快適で居られるわけだ。(放射線量は距離の二乗で減衰する) 私はいつも軽井沢の山小屋で過ごすときは、低放射線の岩盤浴でリラックスしている。 お陰様ですこぶる体の調子が良い。 もちろん、高濃度の放射線になると人体に影響を及ぼす可能性が高くなるため注意する 必要があるが、毎時○○マイクロシーベルトくらいで必要以上に騒いでいる連中は、 はっきり言って「無知」としか言いようがない。 ちゃんと事実を知っていれば、どの程度なら安全か危険かといった判断が出来るのだ。
技術の勝利(プリウス暴走問題の真相) 2010.03.25(Thu) 新型のプリウスに乗り換えてもう9ヶ月になるが、すこぶる快適である。 電気とガソリンの調和がこれほど心地良いとは、 これは乗ってみないと分からない感覚だと思う。 これほど完成度が高い車の、一体どこに問題があるのだろうか。 日に日に、各メディアから 「トヨタ車の暴走事件はでっち上げだった」 という報道が増えてきている。 事の真相が明らかになったのは、最近のトヨタ車に取り付けられている 「イベント・データ・レコーダー」(EDR)という装置のお陰だ。 これは、アクセル/ブレーキ等の走行履歴をデータとして記録するもので、 衝突前の5秒間と衝突後2秒間について、車速/エンジン回転数/ アクセルペダルの踏み込み具合などのデータを記録している。 このデータを解析したところ、これまでの米の「暴走事件」はことごとく 「ブレーキを踏んだ形跡が無い」という結果だったらしい。 このため、公聴会では泣いてまで見せた"自称"被害者も、最近はダンマリ の状態だ。要するに賠償金欲しさの「自作自演」であったわけだ。 このEDRについては、先を見越していたのかそれとも偶然か、 さすがはトヨタとしか言いようが無い。 技術がインチキ国家に勝利した瞬間だ。
新型プリウス、リコール? 2010.02.08(Mon) これは単なる「ハイブリッド特有の現象」であって、もっと言うと 「ブレーキフィールのチューニング」の問題なのではないかと思う。 マニュアル車からオートマ車に乗り換えたとき、誰しも特有の現象 (たとえば勝手に動き出すクリーピング現象とか)に違和感を覚えた はずで、そんなものはすぐに慣れてしまったものだ。 今回問題になっているのは、滑りやすい路面などでブレーキングした際に ABSが動作する状況下で比較的低速になった段階、つまり回生ブレーキ から油圧ブレーキに切り替わる瞬間、1秒程度の間、無ブレーキ状態になる というものだ。(他車に比べて、たったの0.06秒遅いだけ!) 確かに、雪国で運転する人にとっては、たとえ低速の1秒とは言え、 怖いだろう。20km/hでも3.8m進む計算なので、 車間を取っていないと前車とぶつかる可能性もある。 そういう意味で、トヨタは「改修」する責任があると思われる。 それにしても、リコールは大げさすぎないか? リコールの定義は「構造的な欠陥」であり、国交省への報告義務がある。 しかし、今回のケースは、どんなに悪くみても「構造的な欠陥」は見当たらない。 繰り返すが、いわゆる「チューニング」の部類ではないだろうか。 実際のところ、トヨタも当初は「自主改修」で進める方針だった。 しかし、どういうわけか、リコールにさせられてしまった。 考え過ぎかもしれないが、フロアマットやブレーキペダルの問題と同様、 どうも某国の陰謀が渦巻いているような気がしてならない。 あまりにも タイミングが良すぎで、メディアの取り上げ方も異常だからだ。 それだけ、某国の自動車産業は危機感を持っている証拠だろう。 GMやフォードの問題だったら、こんなに取り上げられなかっただろう。 ちなみに、うちのプリウスはちょうど今日が洗車日だったのでディーラーに 持ち込んだところ、「ついでに」ソフトウェアを書き換えしてもらった。 あっという間だった。そんな程度のものだ。
コンビニ弁当 2009.06.24(Wed) オレも結構、コンビニ弁当にはちょくちょくお世話になっているが、 ぬわにっ〜!、「余ったら捨ててる」だとっ〜! このエコが叫ばれてやまないご時世に、なんたる醜態。 セブンイレブンのオーナー達が、フランチャイズ経営側に対して 改善要望の狼煙(のろし)を上げた。 当然だ。 オーナー達は、捨てた弁当の損金のことだけを言っているのではない。 「もったいない」 から怒っているのだ! 確かに、コンビニのビジネスモデルから言うと、 「利便性」 を売りにしている以上、そう易々と値下げは出来ない。 しかし、これだけコンビニが街中に蔓延る中、 定価に近い価格で販売するなど、「独占状態」ではないのか? 利潤ばかりを求め、時勢を理解しない経営は絶対に失敗する。 今日、経営側は損金の15%を補填する案を提示したが、 完全になめている。国民を、だ。 日本人の「もったいない」の精神を忘れたのだろうか。
光市母子殺害事件 2008.04.22(Tue) 今日、差し戻し控訴審で「死刑判決」が出た。 被害者の心情を察する本当に良かったと思う。 一方で、あの死刑廃止論者の弁護団には心底腹が立つ。 死刑廃止論は、遺族の感情を無視した全くの暴論だ。 反省の言葉もない犯罪者に対しては、情状酌量の余地はない。 この事件のように残虐性の高い殺人事件に対しては、過去の 判例に寄らず、被告人の年齢に寄らず、個々に判断を下すべきだ。 日本人の死刑に対する感情は、「自らの罪を自らの死を持って償う」 という武士道、道徳観、歴史文化に基づいている。 外国がどうであろうと、日本はこの文化を守らなければならない。 中国が行っている「見せしめの死刑」とは決定的に異なることを 我々はあらためて認識しなければならない。 あのアホ面を並べた死刑廃止論者たちは、日本の道徳観を根底から 腐敗させるつもりなのだろうか。
ノー残業DAY 2007.06.11(Mon) 最近やっとウチの会社でも「推奨」から「強制」に変わった。 水曜日の定時になると、まるで蜘蛛の子を散らすかのように 管理職以外の社員はサーッと居なくなる。 「やればできるじゃないか」 もちろん、「その日」の前後はそれなりにしわ寄せがくるが、 「その日」にあわせて準備&フォローすることが大事なのだ。 経営層もそのことをよーっく分かった上でやっているはず。 最近は日本でも残業の多い人間を低く評価する企業が増えて きたらしい。一律には判断出来ないが、至極もっともな話だ。 あってはならないが、中にはダラダラと残業代を稼ぐ輩もいる。 いわゆる「5時から仕事」人間だ。 容赦なく与えられるタスクに四苦八苦しつつ、家族への愛情も 注ぎつつ、絶妙なバランスを保持してきた「つもりの」吾輩と しては、全くもって許せない行為だ。 さて、明日は火曜日、地獄だぞ。。。
ホワイトカラー・エグゼンプション 2006.10.25(Wed) 我々デスクワーカーの残業代が無くなるかもしれない、 そんな理不尽な制度がお上で検討中だ。 「残業」を無くしてくれるなら大歓迎だが、「残業代」を無くすだけの改革なら、 労働力泥棒としか言いようがない。 成果主義は聞こえはイイが、日本の会社環境にはまず合わないだろう。 欧米のような仕切られた個室に近い環境ならまだしも、同じグループどころか、 社員全員が見渡せるようなフラットな環境がほとんどだ。 そんな状況で、上司が遅くまで仕事しているのを横目に 「お先に失礼しマース♪」 なんてことが、気兼ねなく言える社員はどれほど居るのだろうか。 結局のところ社員を過当競争に陥れ、最悪の場合、 過労死させることになるだけだ。 そんな制度なら、給料が下がっても確実に労働時間が減る 「ワークシェアリング」の方がまだマシだ。 企業の経営者たちと政治家連中はグルなのではないか。 (まあ、100%グルだわな、政治献金もらってるし)
残業が嫌い 2005.11.11(Fri) オレは残業が大嫌いだ。 仕事は嫌いではないが、残業は大嫌いだ。 しかし、最近は会社に慣れてきたせいもあって 次第に残業時間が増えてきた。 今の会社は残業をすれば基本的にその手当は全額保証される。 では、なぜ残業が嫌いなのか。 当たり前である、自分の時間が持てないからだ。 家に帰ってから特に何をするというわけはないが、 自分の人生の大半を会社で過ごしたくはない。 しかし、慣れというものは怖い。 以前の会社では2〜3時間も残業すれば もうおなか一杯状態であったが、 最近ではそれが当たり前、日付が変わるくらいまで やって、やっとおなかが一杯になる。 ふと周りを見渡してみると、 pm8時や9時では誰も帰ろうとしない。 深夜になっても半分くらいは残っている。 翌日は「タクシーで帰った」だの「会社に泊まった」 だの、当たり前かのように、しかも得意げに話す同僚。 この会社(特にうちの部署)はどう見ても異常だ。 しかし、遅くまで残っている社員はなぜか皆明るい。 というよりも、ハイになっている感じがする。 会社が好きなのか、家が嫌いなのか。 あるいは妙な連帯意識が働いているのか。 残業することに美徳を感じているようにすら見える。 まさか自分をいじめるのが好きな体質??? それでイイのか、日本のサラリーマン! 残業やりまくって売上げが上がっても、そんなものは 当たり前、ちっとも嬉しくなんかないぞ、オレは!
将来の著作権象 2004.06.16(Wed) 最近、Winnyってフリーソフトが話題になってます。 そのソフトを作った人が、著作権法違反幇助とかで逮捕されちゃいました。 このソフトを使うと、インターネットに接続されていれば、個人to個人で データのやり取りが出来ちゃうから、音楽ファイルとかゲームソフトとか、 そういう著作物もやり取りするようになって問題になったんだよね。 でも、よく考えると、著作物って当然著作者が製作したものなんだから その利益は著作者に行くべきで、決して中間の流通業界ではないはず。 ならば、ぎゃーぎゃー騒いでる著作権協会なんかが言ってることは、 ちゃんちゃら可笑しくて、むしろ彼らは消費者に与えられるべき利便性 を踏みにじっていることになる。時代に逆行してるしね。 で、私の考えはこう。 著作者が直接ユーザに著作物を売る(配信する)時代が来ている。 たとえば、これから売り出そうとしているアマチュアバンドなんかも 自分達のサイトを作って、自分達の作品をUPすればいい。 で、その作品を聴いて気に入った人は、バンドの口座にお金を振り込む。 もちろん、これは強制ではなく、あくまでも買った側の意志。 本当に気に入った人(ファン)ならば必ず代金を払ってくれるはず。 それに、無料でダウンロードできるようにしておくことで、ダウンロード 数が増え、作品が良ければネット上で評判もどんどん広がる。 人気が出てくれば、代金を払ってくれる人も増え、当然利益も上がる。 逆に駄目な作品であれば、代金は入ってこないし、評判も立たない。 今の抱き合わせ商法的なアルバムを買わされているのに比べると、 すごくリーズナブルで分かりやすいビジネスモデルだと思うけどね。 もちろん、今急にそんなことになっては中間流通業界の人達は食って いけなくなるわけで、だから違法ファイル交換ユーザとかソフトの 作者まで訴えたりして、流れを食い止めるのに必死なんだろうね。 嗚呼、誰かやってくんないかなあ。。。(他力本願)
強制わいせつ 2003.06.26(Thu) とか、強姦とか、やたら多いね、最近。             特にこないだの早大生とか今日の近大生とか、大学生がヒドイね。 早大生の場合は、「スーパーフリー」とかいうサークルのイベント に関係する事件だったらしいけど、それって「超自由」という言葉 を「超なんでもあり」という意味に履き違えてるんじゃないの?  「自由」とは厳格な規律があって初めてその存在が俯瞰的に分かっ てくるものであって、決して自発的なものではないはず。     しかし、この現象って、長い不況も影響してるじゃないのかなー。 卒業しても就職できないかもしれないし、就職してもいつクビ切ら れるかも分からない。そんな近未来に対する不安が、「今のうちに 楽しまなきゃ」という感情に拍車をかけているような気がするね。 その不安からくる焦りのようなエネルギーが良い方向に向けばイイ のだけど、こいつらの場合はまさに「なんでもあり(無法)」な方向 に向いてしまったわけだ。とにかく、二十歳を過ぎているとはいえ 欲望を理性で抑えられないようでは大人になったとは言えないね。
ゴミとプライバシー 2002.10.25(Fri) 最近に始まったことではないのですが、うちの独身寮の住民は マナーが宜しくないようで、清掃員の方によく注意されます。 注意しても一向に良くならないので、最近は管理人立ち会いで ゴミ袋をいちいち開けて、捨てた人間の特定をしているみたい なのですが、これって「プライバシーの侵害」には当たらない のかなー。                        確かに法律的にはゴミは既に所有権を放棄した物なので、周り の環境を乱したり、捨てた人に精神的な苦痛を与えない限り、 何をしても問題ないような気はします。           それに、捨てた人間を特定して、直接注意するなりしないと、 なかなかマナーは改善されないのも確かでしょう。      ただ、ゴミってある意味「プライバシーの宝庫」だし、捨てる としても「他人に見られることを想定していない」ってことも あるので、やはりみだりに他人のゴミを漁るのは常識的に良く ないような気がしますね。                 先日、あるTV番組でやってましたが、妻の浮気調査のために 夫が家の電話に盗聴器を仕掛けて、妻の浮気の証拠をつかんだ 場合の判例ですが、この場合、確かに夫は妻の浮気の証拠を掴 んだ訳ですから、正当な理由で離婚できて、なおかつ慰謝料を 請求できるのですが、逆に妻の電話を盗聴したことについては いくら自宅であっても「電気通信法の第○条」に引っかかって 罰金(または懲役)になるそうです(要は2人とも有罪)。    つまり、ゴミの分別していない方が悪いのだから、ゴミの中身 を調べて当然!と言うわけではなくて、これらは別々の事柄と して捉えるべきで「どちらも問題有り」が正解だと思います。 個人的な想像(&希望)ですが、今後はそのへんを配慮して法律 も変わっていくんじゃないかなーと思っております。    
性善説? 2002.10.08(Tue) つい先日、SEI○Uの偽装牛肉疑惑に対する消費者へのお詫びとして 「レシートなしでも換金」を3日間にわたり実施した結果、偽装した額 を大幅に超える金額を客に支払ってしまった、という大笑いしてしまう ようなニュースがありました。                   しかしこのニュース、よく考えてみると店側はこうなることを実は予想 してやったのかもしれません。                   SEI○Uの店長曰く、「性善説を当店の方針として・・・」てな言い 訳じみた発言をしておりましたが、実はこうなる(客がウソをつく)こと は容易に予想できたはずで、「客にウソをつかせて、自分達を加害者の イメージから被害者のイメージに変える」戦法かもしれないのです。  しかしそれにしては損害額が大きすぎるし、あり得ないかな?(笑)  
お客様は神様です? 2001.07.16(Mon) 吾輩は海外で仕事をしたことがないので比較できなんだけど、 日本の企業って全くビジネスライクじゃないと思うんだよね。 ずいぶん昔、そう、日本の高度成長期の頃にどこかの演歌歌手 が「お客様は神様です」なんて余計なことを流行らせちゃった せいで、日本のビジネスマンの深層心理にそんな意識が根付い てしまったんじゃないかと思うね。基本的には、「売る側」は 「買う側」の意向を反映するべきだとは思うけど、だからと言 って失礼な態度を取ったり、無理難題を押しつけたりして良い ものでは無いと思う。そのへんが日本の捻れた社会構造の一端 を表しているのかもね。まあされどニッポン、がまんがまん。
日本の警察 2000.04.07(Fri) 最近の警察の不祥事には呆れて物が言えないが、せめて善良な市民の訴えくらいは まじめに聞いて欲しいものだ.先日のストーカー殺人事件でも警察がしっかり対応 していれば事件は発生しなかったかも知れない.民事不介入だとは言うが、これは 単に「面倒な仕事はやりたくない」ことを明文化しただけのものだと思う.事件は 起こってしまってからでは遅いのであって、むしろ潜在的な犯罪を潰していかなけ れば単に「事件の後始末」をしているだけにはなっていないだろうか.      日本は(最近はともかく)昔から治安の良い国と言うことで世界的に有名だが、これ は決して警察が優秀だからではない.日本人という比較的大人しく集団意識の強い 民族性によるものだと考える.アメリカの警察が優秀なのはコレの裏返しだとも言 える.国民の犯罪レベルと警察の道徳レベルは反比例しているということだ.  
レッサーパンダとアライグマ 2000.03.12(Sun) この2種の動物、姿形もさることながら分類上も親戚に当たるそうですが、近い将来 全く正反対の待遇が待っているらしい.レッサーパンダは数も少なく、繁殖も難しい ために全国の動物園で「お見合い作戦」が行われる一方、ペットが野生化したアライ グマは農作物に被害を与えているために今春から駆除が強化されるとか...    少ないから助ける、多いから駆除というのは、人間の身勝手なエゴ以外の何者でもな いと思う.確かに、人間の自然破壊や乱獲により数が減った種については人間の責任 において保護する必要があるように思うが、絶滅すべき種を絶滅させないのは人間の 自己満足のための偽善に過ぎないと言える.あらゆる生命体に「死」があるのと同じ ように、種が絶滅するのも自然の営みの一部なのである.人間が自然に手を加えるこ とは、プラスであれマイナスであれ細心の注意が必要なのだ.さもなくば、自然災害 や新種ウイルスの発生など、思わぬしっぺ返しを受けることになる.       
評論家を評論する 2000.01.06(Thu) 高校生の頃まで吾輩は評論家という職業が嫌いでした.なぜなら、実際に何もしないで言いたいことだけ 言っている楽な仕事だと思ってましたので.しかし、今はそうは思っていません.評論家の中には実務を 経験した人もいれば、本や雑誌などを勉強して自分の知識にした人もいるでしょう.評論家はその方面で の知識に長けたスペシャリストだと思っています.                         ただ、最近思うのは評論家の中にも良い評論家とそうでない評論家がいるのではないかということです. 確かにその方面について造詣の深い知識を披露してくれるのだけれども、ただそれだけであって、そこに 何の新しいアイディアもなく、独創的な批評が見あたらない場合が見受けられるのです.つまり、難しそ うなことを言っているようですが、良く咀嚼してみると実は大したことを言っていない事が多いのです. 要するに自分の意見がないのですね.ただ単にニュースを読むアナウンサーのように自分が調べた情報や 知っている知識を公表しているだけに過ぎない評論家が多いのです.それはそれで有り難いのですが、時 間をかければ誰にでも知り得ることだったりします.それでは評論家という職業の価値が低くなってしま うのではないでしょうか.誰しもそんな知識の羅列よりも評論家個人としての意見を聞きたいはずです. 吾輩は評論家を評価するひとつの指標として、その評論を読んだあと「なるほどね」とうなずける評論を 「良し」としています.もちろん、趣味の問題ではあるのですけどね.               
ホモセクシャル 1999.09.06(Mon) 先日、例によって「ココが変だよ日本人」を見ていると、ホモセクシャル(ゲイ/レズ)につ いてやってました.なかなか笑えましたが、二つほど気になる発言がありました.     一つは「ゲイは生まれる前のホルモン分泌において男性/女性のホルモンバランスが崩れた 為に生じる」というもの.要するに、性別は胎児が形成される段階で決まるのだから、それ がたまたまゲイのバランスになっただけで病気ではない、というゲイ側の主張です.しかし ホルモンバランスが崩れたんだから、やはり異常ではないのか、と吾輩は思うのですがね. それと、二つ目は「人間(生物)は子孫を残すために生きている.やはり、ホモセクシャルは 不自然だ」という、今度は反ゲイ側の発言.これに対するゲイ側の反論は「子供を産めない (産まない)夫婦もいるが、これは異常ではないのか!」とのこと.これに吾輩が答えるなら 「はい、異常です」となるでしょうね.なぜなら、やはり子孫を残すことが自然ですから. 世界全人口に対して圧倒的少数派であるホモセクシャルや子供持たない夫婦は、「自然」と いう定義に対して、やはり「不自然」と言わざるを得ないでしょう.もし仮に世界の全人口 がゲイ(レズ)だったら(怖い ^_^;)、百年以内に人類は絶滅してしまいますからね.    要するに、ゲイなどのホモセクシャルは、身体のある一部分が異常な状態で生まれてしまっ た、いわゆる「五体満足ではない身障者」と同じジャンルだと思うわけです(そのような異常 な個体は、種の保存のために或る一定の確率で必ず出生するようです).勿論、だからこそ、 ゲイに対する差別や偏見などは言語道断で、自然に接してあげる事が大事なのだと思います.
巨人・阪神 1999.04.24(Sat) 別に関西の漫才師のことではないのである.何のことはない、吾輩と野球との関係をお話ししたい だけなのである.そう、吾輩はプロ野球が嫌い、いや、正確には嫌いになったと言うべきだろう. 吾輩も昔は大の巨人ファンで、夜のスポーツニュースは片っ端から見まくるタイプだった.    実は吾輩は兵庫出身の純血関西人で、親と話すときは関西弁モードに戻ってしまう.やはり一般的 には「阪神ファンじゃないの?」と思われる方が多いだろう.しかし実態はそれほどでもなく、 大阪や神戸の住民でない限り、吾輩のような隠れ巨人ファンが結構いるのである.それだけ広く ジャイアンツ・シンドロームは日本中に浸透しているわけである.事実、当時の吾輩を野球好き にさせた親父も生粋の関西人である.                            なぜ、日本中にこんなに多くの巨人ファンが氾濫しているか.それは巨人が他の球団とはある点で 異質であるからだと吾輩は考える.近年、サッカー界では地域密着型を理想としたJリーグが発 足して記憶に新しいが、なかなか経営的にうまくいかないことも周知の事実である.無論、野球界 も全ての球団が地域に根付いていて地域密着型と言えるわけだが、サッカー界とは決定的に違う点 がある.それは、絶対的強さを持つ、或いはカリスマ的な大スターのいる球団が存在する点で ある.つまり、それがジャイアンツの存在であり、実はこの球団の存在が野球界の発展に多大な 影響を及ぼしていると考えられるのである.                         今から二十数年前、ジャイアンツには黄金の時代といわれる時期があり、後にも先にも無いであろ う九連覇を達成したことがあるのは有名な事実である.巨人・大鵬・卵焼きなる新語が出来たのも この頃である.吾輩はこの頃の野球界は力道山プロレス界に代わる新しい日本のスポーツとして 野球を定着させることを狙っていた、いわゆる黎明期ではないかと考えている.事実、プロ野球 ファン、強いては巨人ファンが急増したのもこの時期ではなかっただろうか.その結果、現在の様 なプロ野球国家になってしまったのではないだろうか.そう、この国では巨人ファンでないと営業 には向かないと言われ、親父と酒の一杯も飲めなくなってしまったのである.        それが、ある時を境にして吾輩は野球が大嫌いになった.良く覚えていないのだが、確か某TV局 のズーム○ン朝!のプロ野球コーナーを見ていて、ふと「俺は何でこんなものに夢中になってい るんだ!?」という自己疑念に陥ってからだったと思う.要するに、何のために応援しているの かさっぱり分からないのである.今まで何の疑いもなく応援してきたことが不思議でたまらなく、 自己嫌悪に襲われた.「何のために」なんて考えること自体ナンセンスかも知れないが、必ず理由 があるはずなのである.例えば、「横浜人」だからベイスターズだとか、「青が好き」だからドラ ゴンズだとか.(笑) しかし、吾輩にはそれが全くないのである! いつの間にかファンになって いた.つまり、吾輩のような「隠れ巨人ファン」は、野球界&マスメディアのプロパガンダ的戦略 によって洗脳されている可能性が高いのである.例えば、同じ時間帯に一部を除く全てのTV局 が一斉にプロ野球速報を報道するのも洗脳戦略の一つではないだろうか.自己嫌悪に陥ったあの朝 は、まさにその洗脳から解かれた朝だったのかもしれない...                一方、サッカー界においても同様に読売系であるヴェルディによってこの戦略を実行しようとした 節があるが、結果的にはうまくいかなかった.これはチェアマンの独裁的判断が地方密着型にこだ わりすぎ、球団の数を増やしすぎたためにジャイアンツ的な球団が生まれなかったのがその原因で あると考えられる.しかし、サッカーは国際試合になると、燃える.サポーターと呼ばれるサッカ ーファンは、深夜だろうが、出勤日だろうが、インドネシアだろうが構わず、応援を惜しまない. あのエネルギーは何なのだろう、少なくともプロ野球ファンの比ではない.この現象は海外におい ても、さらに激しい.オリンピックなどでもそうだが国際的な試合では、選手、観客ともに愛国心 (いわゆる右翼の言うそれではない)という精神的要素が加わるのだろう.            最近では野球界も焦っているのか余裕なのか、マグワイヤ、野茂でグローバル戦略を計っているが 確かに野茂が海外で活躍する情報には興味を持ってしまう.あるいは、高校野球でも出身地の高校 を応援してしまうのも、スケールこそ小さいが同様な地域愛によるものだろう.         もう、吾輩は応援する目的を持てないものを応援することはないだろう.関西出身なので阪神は 嫌いではなかったが、既にプロ野球界に強烈な嫌悪感を持っているし、野村夫人も嫌いなので(笑) ちなみに関西では「阪神・巨人」が正しく、「巨人・阪神」と言ってしまうと道頓堀に放り投げ られる可能性が高いのでご注意を.(笑)                          
「なんか」の文化 1998.04.06(Mon)  最近、「なんか」という言葉をやたら耳にします.勿論、文書の上や会議などの場などでは あまり聞きませんが、ふだんの会話やテレビを見ていても良く耳にします.例えばこんな感じ です.「最近、なんかさー、なんかなんか言うやつ、なんか多くないー?」ってな感じです. まあ、これは少々大げさですが、皆さんも良く耳を澄ましてみて下さい、「なんか虫」があち らこちらで鳴いていますよ.                               ところで、ここで言う「なんか」いう単語は正確には「なにか(副詞または名詞)」で、曖昧 なもの、または曖昧であることを表す、英語で言う「something」に当たります.当然ですが、 れっきとした日本語です.ですから、これを使うことに何の問題もありません.ただ、私が気 なっているのはそれを使う頻度の多さです.英語圏や他の言語圏のそれと比べたことはないの で他国との比較は出来ませんが、少なくとも日本においては最近その使用頻度が増えたように 思われます.要するに、日本人の会話が以前より増してだんだん曖昧になってきているのでは ないでしょうか.                                    もう一つ、しゃべり方の癖かも知れませんが、必ず会話の節々で語尾を上げる人がいます. 良く聞いてみると語尾を上げる単語のほとんどが固有名詞で、一度語尾を上げて止めた後、ま た続きを話し出します.この語尾を上げる癖のある人は自分の意見に自信がない人が多いそう ですが、確かにそんな風にも見えてしまいます.いちいち相手に同意を求めて自分の意見が正 しいことを確認しながら話をするのです.これがあまり頻繁だと、聞いている方は多少イライ ラしてしまいます.                                   今、話し方について2つの例を挙げてみましたが、前者は比較的若い人、後者は年輩の人に 多く見られるようです.日本人は今も昔も「事なかれ主義」が主流で、言葉も自然となるべく 曖昧な表現を使うようになってしまうのでしょう.「断言する」ということは与える影響も強 いですが、それだけリスクを負うことにもなります.断言したことが、もし間違っていれば、 嘘をついたことになってしまうからです.ですから、自分の考えや記憶に自信がなく、明言を 避けたい場合は、どうしても曖昧な表現をとらざるを得ません.つまり、上の2つの例は同じ 「自信の無さ」から生まれてくる表現なのです.                      とにかく、自分に自信を持てるようになれば、自然と「なんか」も言わなくなるんじゃない でしょうか.  ・・・・それにしても、日本人のそういった弱気な性格、なんか嫌いです.


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