◇熟年ツアー 今の日本の法律では「結婚した者は1年以内に海外へ渡航すべし」と定め られているようで、これに背くと懲役6ヶ月か国外追放、あるいは金正日 と夜を共にしなければイケナイらしいので(うそ)、仕方なく妻と二人で南 ヨーロッパ地中海沿岸地域に位置する伊太利亜といふ国に行って来た。 とにかく伊太利亜という国は初めてなので、言葉も分からないだろうし、 どこに行けばいいのかも全く不明であったので、旅行会社に全てお任せの ツアーを選んだ。このツアー、パンフが郵送されてきて初めて知ったのだ が、なんとタイトルは「熟年おすすめツアー」。確かに大脳の老化はすで に始まっているとは思うが。。。。 ◇空路12時間 なんたる地獄。経済的座席というものは人間を人間扱いしない座席のこと を言うのか。きついベルトで体を締め付けられ、動こうにも満足に動けな い。座席を後ろに倒そうとすると、後ろの厳ついオヤジが睨みをきかす。 こんな劣悪な状態で十時間以上を大した食事も与えられずに過ごさなけれ ばイケナイのは地獄というよりほかなかった。 このツアー、イタリアに行くのに東欧のオーストリアを経由してミラノと いうイタリア第二の都市を目指す。このオーストリア航空の旅客機は座席 が最悪だ。座席の頭の部分に異様な出っ張りがあるのだ。体格のイイ外人 であれば、ちょうどこの出っ張りがクビの後ろに当たって具合が良いのだ ろうが、我々日本国民の華奢な体には位置的に非常に不適当だ。常に頭を 下向けていなければならず、当然さらに不快指数は上がるのだった。 ◇ダ・ヴィンチの里、ミラノ 里かどうかは知らんが、とにかくレオナルド・ダ・ヴィンチの名前が多く 出てきた街だった。代表作の一つ「最後の晩餐」の実物があるからだろう。 この絵は想像以上に大きくて度肝を抜かれた。ダ・ヴィンチはよほどヒマ、 失礼、マメだったのではなかろうか。やはり、科学者でもある彼が芸術を 嗜むあたりが実に素晴らしい。遠近法を取り入れたり、顔料を漆喰に馴染 ませるために試行錯誤の末に卵黄を使ったりしているところなど、技術畑 の自分としては、些か僭越ではあるが共感を覚えるところだ。 ◇キリスト教徒のための市民会館?ドゥオーモ この国には至る所に協会の親玉のような建築物がある。ドゥオーモという いつもの挨拶のような名前の建物がそれだ。このミラノも例外ではなく、 街のド真ん中に堂々とした風情のドゥオーモを見ることができた。外観も 荘厳かつ壮大で素晴らしいのだが、中にはいると一転、ステンドグラスが 随所に張り巡らされ、繊細な美しさを堪能できる。これは一見の価値あり。 ◇ジュリエットの里、ヴェローナ バスでミラノからヴェニスに向かう途中、ヴェローナという小さな街に立 ち寄った。ここは野外オペラで有名な円形劇場(アレーナ)で有名な街らし いが、素人的にはロミオとジュリエットの舞台となった街であることの方 が興味深い。「ジュリエッタの家」と呼ばれる場所には、物語のモデルと なった女性の像が公開されていた。何でも、この像の左胸に触ると幸せに なれるとやらで、左の胸はすり減ってかなり凹んでいた。思わず妻の胸に 目をやったのは私だけではないはず。 ◇水の都、ヴェニス イタリアの言葉でヴェネツィアと呼ばれるこの街は、街中を運河が走って おり交通のほとんどが船であることで有名だ。そう遠くない将来、海に沈 んでしまうとも言われている街なので、この際しっかり観察しておいた。 やはり世界有数の観光都市だけあって、どこを向いても絵になる美しい街 だった。水上バスも面白かったが、家々に挟まれた細い水上路を見ながら、 迷路のような路地をねり歩く方が実は面白いかもしれない。いい加減に書 かれた地図を片手に、時折、運河に面する袋小路に戸惑いながら探検家に なったような気分を味わうのも悪くはなかった。妻はグラス工場で買った ヴェネツィアン・グラスを片手に、超ご機嫌なご様子でござった。 ◇中華は食べるべからず ヴェニスで食べたイカスミのスパゲティはなかなかのものだったが、この あと向かった宿泊地であるフィレンツェで食べた夕食はいただけなかった。 珍しく中華だったのだが、何と言ったらいいのか、しょぼい料理だった。 「おまえら自分で食べてみたことあんのか」と店の主人に言いたくなった のは私だけではなかったはず。 ◇国民総甘党 あと、食べ物に関して言えば、イタリア人は超甘党である。コーヒーでも 砂糖2個は当たり前らしい。朝食はもちろんパンなのだが、元々甘いパン にさらにジャムを塗って食べている。おかずと言えばハムかタマゴ。野菜 のたぐいはプチトマトくらいしか見あたらなかった。マジで気分が悪くな りそうだった。 ◇飛ばし見の博物館 フィレンツェの見所と言えば、はやりミケランジェロ作「ダヴィデ像」の あるウッフィッツィ博物館だろう。何を隠そう小生、博物館が好きで海外 巡りをしているようなものである。ミケランジェロもそうだが、ここには メディチ家お抱えの有名な芸術家(詳しくは知らん)の有名な作品が数多く 展示されている。ボッティチェリ作の「ヴィーナスの誕生」などはあまり にも有名すぎて私も知っているくらいだ。ただ少々残念だったのは、時間 的に余裕がなかったのか、あまりゆっくり見られなかったこと。フィレン ツェに住んでいるという中尾ミエ似の日本人ガイドにそそくさと引率され ながら、飛ばし飛ばしのダイジェスト版的な見学になってしまった。 ◇確かに傾く斜塔 ピサの斜塔というのはフィレンツェからわりと近いところにあるようだ。 バスで30分ほどのところにそれはあった。「確かに傾いている」それが この建物を最初に見た感想だ。お決まりかもしれないが、倒れそうな斜塔 を片手で支えるポーズで写真を一枚。一体、何百万人の観光客が同じこと をしたのだろうか。それを思うと自分の存在のちっぽけさを感じてしまう。 先に述べたドゥオーモというのは日本語で洗礼堂ということをここで初め て知った。かのガリレオも幼い頃ここで洗礼を受けたらしい。ピサの斜塔 の同じ敷地内にも実はドゥオーモが存在する。てゆーか、キリスト教的に はこっちがメインだったりするらしい。斜塔は単なる見張り台(鐘楼)とい うことだ。この斜塔、このまま放置しておくと本当に倒れてしまうらしく、 数年前に修復が行われたらしい。その際、完全に垂直に戻してしまっては 斜塔ではなくなるので、その辺の微調整にかなり苦労したとのこと。いっ そのこと、倒れる寸前くらいまで倒して「超斜塔」にした方が刺激的で観 光客も増えたかもしれない(無理)。 ◇雨のフィレンツェ ここまで天気は良かったのだが、2日目のフィレンツェで初めて雨に降ら れた。フィレンツェはどちらかというとイタリアの北部に位置するが、こ の季節にしては非常に寒い雨の日だった。雨のフィレンツェも細い路地な どを歩いてみるとなかなか良い雰囲気なのだが、妻はそのおかげで風邪を 引いてしまったらしい(時差なのか、帰国してから具合が悪い)。 ◇本場のピザはイマイチ!? フィレンツェから南へ270kmをひた走りローマに到着。そこでの昼食 はピザであった。最初の1枚目はベーコンとキノコが乗っていてそこそこ 旨かったが、2枚目には思わず松田優作ではないが「何じゃこりゃぁ〜」 と言いそうになってしまった。昔からある伝統的なピザらしいのだが、白 い生地に溶けたチーズとトマトがのってるだけ。インドのナンをにも似て いたが、日本のコテコテなピザに慣れている私としては、とても全部を食 べる気にはなれなかった。 ◇ヴァチカン、コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場 さすがに永遠の都と呼ばれるだけあってローマには見るところが沢山ある。 しかも、どれもが壮大であり美麗であり格調が高い。日本にも歴史のある 建造物は多いが、ヨーロッパの建築物というものは石や煉瓦であるためか しっかりした形で残っている。街並みも日本のようなビルは全くと言って いいほど見あたらず、石材などを使った堅固で重厚な造りの建物ばかりで あった。今回のツアーは「熟年向け」よろしく有名どころを全て見て回る ような欲張りツアーだが、どの名所、建築物も感銘を受けないものはなか った。街中に芸術品が陳列してあると言っても言い過ぎではないだろう。 ◇ナポリで運転できれば世界中で運転できる と言われているらしいが、その言葉は本当だった。この街に交通ルールと 言うものは存在しない。交差点では早い者勝ち、信号があっても黄色ラン プが壊れている有様。ナポリに限らず、イタリアひいてはヨーロッパの国 々の車事情というのは酷いらしく、特に駐車場がないようだ。確かに日本 でよく見るような「P」のマークがほとんど見られなかった。で、当然の ことながら皆さん路駐するわけだが、これがまた凄まじい。前後の車との 車間は数センチほどしかないのだ。この国では、明らかに出られないであ ろう車を頻繁に目撃することができる。当然、バンパーに傷がない車を見 つける方が難しく、イタリアなのにフェラーリを見かけない理由も分かっ たような気がした。 ◇2000年前の街がそのまま、ポンペイ ちょうど出発前の関空ホテルに滞在中、どこかのチャンネルでポンペイの 特集をやっていた。最近の科学的な調査によって、いろんなことが分かっ てきたのだそうだ。例えば、ヴェスビオ火山の大噴火によってポンペイの 街は大きな被害を受けたように言われていたが、実際の被害者は全人口の 1割程度しかいなかったことや、数回にわたる高温の火砕流が人々を死に 追いやってことなど。ちょっと知ったかぶりしてポンペイの遺跡を見て回 るのも悪くはなかった。やはり何と言っても一番印象深いのは、降り積も る火山灰の中で息絶え、空洞になったところに石膏を流し込んで型取った 犠牲者の姿には生々しいものを感じる。親子で手を繋いだまま亡くなって いるものもあるらしく、今と同じような愛情がその頃にもあったかと思う と、何とも言えぬ悲しい気分になった。 ◇最後の晩餐、カンツォーネ! イタリア最後の夜は、ローマ市内のレストランでカンツォーネを見ながら みんなで食事会。そういえば、熟年ツアーだったのでそれなりにお年を召 した方々もいらっしゃったが、20代の若者夫婦も居たりで結構年齢層は 幅広かった。1週間も同じ行動をしていると当たり前かもしれないが、彼 らと仲良くなれたのも一つの旅のおみやげだろう。サンタルチアなど、あ の巻き舌で唄う歌い手さんもなかなか冗談が効いていて楽しい一時だった。 何となく、やっとイタリアに来ているような気分になれたのは、皮肉にも この最後の夜だったような気がする。 ◇今度はイタ公抜きでやろうぜ 最後の晩餐で前に座っていた年配の男性曰く、「以前、ドイツへ行った時 に、"今度はイタ公抜きでやろうぜ"と言われた」そうである。別に彼だけ が言われたのではなく、日本人がドイツに観光に行ったときにドイツ人か ら友情の証として言われる挨拶みたいなものらしい。第二次世界大戦での 三国同盟のことを言っているのだろうが、確かに2+1=3になるはずが、 2+1=1.5位だった史実を思うと、そう言いたくなる気持ちも分から ないではない。まあ、その結果オーライ的・超楽天主義な民族性が憎めな いところでもあるわけだが。 ◇総論 日本と比べてもしょうがないが、食事は日本がイイ。これはほとんどの人 がそう思うのではないだろうか。一つ一つの料理が云々という訳ではなく、 日本の方が圧倒的に選択肢が多いのだ。これは他のヨーロッパの国々と比 較しても同じなのかもしれない。もうベーコンと卵だけの朝食はイヤだ。 逆にイタリアに軍配が上がるのはやはり街並みの美しさだろう。これも、 ヨーロッパ全体に言えることだろうが、街全体で景観を大事にしているの が良くわかる。ただ、残念だったのは繁華街になるほど落書きが多いこと。 特に地下鉄が酷かった。ある研究レポートでは、落書きが多い街ほど犯罪 発生率が高いという。実際、ニューヨークでは街の落書きを徹底的に消去 し尽くしたところ、劇的に犯罪が減少し、昔言われたような犯罪の街では なくなったらしい。ヨーロッパの国々でも、是非そうして欲しいものだ。 ちなみにローマ地下鉄の切符は75分内であれば何回でも乗れる。 ◇余談 今回、時間があればチェキニョーラ博物館行くつもりであったが、前述の 通り、かなりタイトなスケジュールであったので、叶わなかったのは残念 だった。一応、トレビの泉では後ろ向きで1回コインを投げておいたので、 またローマに来ることになるのかもしれない。その時は、是非リベンジを 果たしたいと思う。