初日<成田出発〜ガンディ空港到着> もっと先になるかと思っていたが、意外と早くその時が来た。 いずれは行ってみたいと思っていた、妻と二人でインドに行くことになった。 理由はいずれ語る時が来るかも知れないが、ココでは語らないでおく。 いずれにしても、半分は観光目的でのインド渡航となった。 今回はJAL、成田空港はあいにくの雨でした。 日本とインドの時差は3時間半、行きは10時間くらいのフライトだ。 長いようだが、無料の映画も充実していて意外と短く感じた。 そして、インディラガンディ空港に到着。 首都ニューデリー郊外にある国際空港だ。夜遅い時間だったが、さすがに大国、人が多い。 事前に電子ビザを取得していたのだが、並ぶ場所を間違えて30分ほどロス。 さらに、円からルピーに換金しようとしたが、図々しい中国人に横入りされ時間ロス。 しかも、偽札騒動の影響あってか、4000円分しか換金出来なかった。 ドルも使えるらしいので、成田で2万円ほどドルにしておいて良かった。 ホテルは空港から車で20分ほどの場所にある。 さすがにインドでも最高級のホテルだけ会って格調高い作りだ。 中庭のプールはコバルトブルーでライトアップされていた。 妻はプールに入りたかったようだが、さすがに誰もいない夜のプールに入るほどの心臓は持っていなかったようだ。 部屋も各所にシンメトリックなデザインが施されたインドらしい内装で素晴らしいのだが、 いつも思うのがこの洋式のトイレ&バス、なぜ丸見え状態なのか? ホテルの探索も一通り終えて、ちょっと外の様子を見てみてびっくり、 店らしきものがファーストフード店1軒しかないのである。 そこでサンドウィッチらしきものを幾つか買って部屋で食べた。意外と旨かった。 2日目<ニューデリー観光> 翌日、ホテルから外を見ると朝モヤのような景色が広がっていた。 後から考えると、朝モヤと言うより、あれは単に空気が悪かっただけかも知れない。 さて、とりあえずニューデリーにでも行ってみるか。 あまり綿密な計画を立てていなかった俺は、そんな感じでまずは鉄道の駅を目指した。 そして、一番近い駅に着いてまたビックリ。 無人駅で改札もない、掲示板も無くいつ電車が来るか分からない、 反対側にはオバさんがヒマそうに座っている。。。これは違うぞ!? 仕方なく、一旦ホテルに引き返して作戦を練り直し。 当然、妻は不機嫌であり、「一人で行動する」とか言う始末。 何とかなだめつつ、妻の先導で比較的新しいメトロ線を目指す。 メトロ線は駅も電車も新しく、これなら安心して乗ることが出来た。 妻は旅慣れているのか流石である。少々俺は面目なかった。 ニューデリー駅を一歩出ると、そこはやはりインドっぽい景色だった。 リキシャ(力車?)と呼ばれるオート三輪ぽいタクシーが至る所を走っている。 車の通行量も非常に多く、どの車もクラクションが本当にうるさい。 後で分かったが、信号も少ないので、互いの位置を教え合っているのだと思った。 少々腹が減ってきたので、ファーストフード店に入る。結局、一番安心なのだ。 そこで売っていたサンドウィッチは旨かった。外はパリッ&中はジューシーなのだ。 しかし、それだけでは満腹には遠く及ばず、近くの混雑している店でまた買い食い。 一見、デザートのような食べ物は、予想に反して微妙に辛く、あまり旨いものではなかった。 奥に見える長い形状のチャーハン?が一番マトモだった。 さて、気を取り直してニューデリー中心街を散策。コノートプレイスと呼ばれる円形状の場所である。 街角のあちらこちらで、寝そべる犬を見かけた。住民と仲良く共存しているのだろうか。 中心の公園をブラブラしていると、現地の怪しい男に妻が声をかけられる。 なんでも、某シューズメーカーで働きつつ、現地のツアーを紹介しているガイドらしい。 言われるまま、付近にあったツアーガイドセンターへ。定番のツアーを組むことに。 考えてみれば、少々お金はかかるが何も計画してなかった我々としてはラッキーだったかも知れない。 そして、例のリキシャに搭乗。まさかこれに乗れるとは思ってなかった。 まるでゲームセンターのレーシングゲームのような景色を見ながら、 最初の目的地ジャイプールの巨大天文台「ジャンタル・マンタル」に到着。 約300年前に建設された天文観測施設らしい。 また怪しいオッサンが近づいてきたかと思うと、英語でペラペラと説明を始める。 まあ、「英会話のヒアリングにはなるな」と思って聞いていると最後に料金請求。 そういうことか! 世の中甘くはないわな。200円くらいしか払わなかったけど。 続いてリキシャで強制連行wされたのは紅茶専門店。 店員しかいない店内で何種類か試飲させられ、買わざるを得ない雰囲気に。 このあと、幾度となくこのパターンで色んなものを買わされることになる。 まあ、海外旅行で現地ツアーを組むと、ある意味当たり前なんだけどね。 疲れてホテルに帰る途中、商店街の鶏肉屋に立ち寄り。 そこで買ったタンドリーチキンがめっちゃおいしかった。 ようやくインドに来た実感が沸いてきた瞬間だった。 3日目<オールドデリー観光> 眠い目を擦りつつ、今日はオールドデリーを中心に回ることに。 その前にニューデリー中心にある日本で言う霞ヶ関あたりを廻り、 さらにインド門を経由。ここは、パリのエトワール凱旋門に似た慰霊塔だ。 そして小腹が空いたので途中のバラック的な店が並ぶレストランで昼食。 あとから思えば、ここのカレー&ナンが一番美味しかった、本場の味だった。 食事を終えて、さてオールドデリーに向かうと思いきや、途中で怪しげな店に連行された。 ゾウの顔をしたガネーシャの置物や、織物、象牙品などが陳列されていて、 妻は意外と気に入ったものがあったようで、首に巻くストールとカラフルな敷物を買っていた。 さて、途中で寺院に立ち寄りながらもようやくオールドデリー到着である。 まずは、赤い砂岩が特徴的な世界遺産レッドフォートをバックに写真撮影。 そしてここからは車を降りて、なんと人力車+オヤジで街中を移動である。 人力車から見るオールドデリーの街は何処を見ても刺激的で活気あふれる風景だった。 それにしてもインドの電線事情はひどかった。良く通信断になるのも頷ける。 携帯の基地局も、雑居ビルの屋上に乱立する有様だ。 そして人力車はどんどんと狭い路地を進んでいく。 こんな人混みで通れるのか?というような路地を練り進んでいく。 途中、また怪しげな宝石店に連れて行かれ買わされそうになるも逃げ切りw、 ようやく路地を脱出、比較的広い道に出ることが出来た。 途中、バスと乗用車が接触して道をふさいでいた。当然、その後ろは大渋滞だ。 そして、普通に生きた鶏を売ってる店や、ウシが放し飼いにされている。 そう、これがインドなのだ。 そのあと、妻はよほどサリーの美しさに魅了されたのか、専門店らしき店で物色。 店員にサリーの着付けまで教わりつつ、気に入ったサリーをお買い上げ。 そして、夕日を背にする寺院はインドにも夜が訪れることを教えてくれる。 また、昨日のレストラン街でタンドリーチキンを買って帰るのであった。 4日目<アグラ・タージマハル観光〜帰国> さて、最終日はインドで最も有名な観光地とも言えるタージマハルに行く。 車でピューっと行けるかと思いきや、何と片道4時間かかるらしい。 それでも高速道路が出来たおかげで早くなったのだとか。やはりインドは広い。 妻は昨日オールドデリーで買ったサリーを纏って行くらしい。 俺は相変わらず毎日同じ服だが全く気にしない(だからモテナイ)。 その高速道路に乗り、しばらくすると、マンション建設の現場をよく見かけた。 中国の建設ラッシュは一段落したと聞くが、インドではまだまだこれからなのだろうか。 そうこうしてると便意をもよおし、インド版サービスエリアでトイレ休憩。 予想通り汚さ満点のトイレだったが、あとで手動のウォシュレットがあることに気づく。 ただ、これをどうやって使うのか、今ひとつ使う勇気がなかった。 そう言えば、ホテルのトイレも同じようなものがあったことを思い出す。 ケツに水をかけながら、不浄の左手で洗ウーノだろうか? いやー俺には出来ない。 もう日本のウォシュレット(R)が無ければ生きていけない体であることに気づかされる。 苦難のトイレを済ませ、またアウトバーンの如き高速道路を走る。 行程の1/3位の地点だっただろうか。大トラブルが発生した。 車が故障したのだ。エンジンがかからないという。 暫くして、JAFのようなサービス部隊が来てくれたので、 バッテリーを繋いで、押しがけして何とか走れるようにはなったが、 結局、その車では危険なので、後方から別の車が配車されることになった。 その待ち時間、2時間以上。このことが後でハラハラさせることに繋がる。 バッテリくらい出発前にチェックしとけよ。。。 という俺の不満に気づいたのか、ドライバーから昼食を頂いた。 チヂミのような食感で、お好み焼きのような味だった(不味くはない)。 ようやく、アグラの街に到着した。 どうにも埃っぽい街だが、これでも昔はインドの首都だった街だ。 ドライバーさんがかなり飛ばしてくれて、ようやくタージマハルに到着。 ただ、目的の場所まで若干歩く必要があり、馬なんかにも乗れるようだ。 ようやく到着したかと思ったが、建物の色が茶褐色で純白とは違う。 ココはまだ、目的地までの門に当たる部分だという。思ったより広いようだ。 そこにはチケットを買うために並ぶ人人人・・・ 我々は予め観光ツアーとして買ってあったので、行列はスルーできた。 そして広い場所と大きな門が見えてきたが、ココもまだ目的地ではない。 上に乗っかっている小さなドーム上の屋根は両面で22個並んでいる。 何でも、この門の建造に22年かかったことに由来しているらしい。 ちなみに、現地ガイドはムーンさんという若者。若干日本語も分かるとのこと。 ただ、どうしても会話はカタコトの英語が中心になる。 確かに2年もいればペラペラになるのかも知れない。 そして、今度こそ目的のタージマハルが見えてきた。 純白の大理石に覆われた紙面とリーの建造物、青い空に映え、本当に美しい。 当時の王様が愛する妻の墓として建てたらしいが、その愛情の深さを感じざるを得ない。 この大きな建造物を建てたおかげで当時の国の財政が傾いたらしいが、 数百年経って世界遺産となりインド随一の観光名所となっている訳だから、 結果として当時の王様がやったことは正解だったと言えるだろう。 近くで見るとそれほどキレイでもないのだが、やはりこれだけの人が 観光に来るため、週1回はメンテナンスの日が設けられているらしい。 さて、タージマハルの写真もさんざん撮って、ガイドにトイレに行きたくなったというと、 混雑もなくて良い場所があるという。また、例によって強制ショッピングだ。 今度は、大理石を使ったテーブルや飾り物。。。一見して高そうだ。 最初、ご立派な八角形のテーブル台を勧められる。細かい模様も全て手で削ったのだという。 そう言えば、現地pm8時頃フライトだったため、あまり時間がないと告げると、 別の部屋に連れて行かれ、「これはどーだ」ときた。何も聞いちゃいねえ。 「こりゃ何か買わんと逃げられんな」と時間もない中、内心焦ってきた。 結局、6枚入りのコースターセット(約一万円)を買って何とか解放してもらえた。 「まあ悪い物ではないし、実家の土産にでもするか」と自分に言い聞かせる。 それにしてもあまり時間がない。帰りのドライバーさんにもかなり急いでもらった。 「夕日がキレイだな〜」なんて感傷に浸る余裕もなく、空港までを急ぐ。 ようやく空港に到着した時はフライトまで40分ほどしかなく本当に焦った。 持ち物検査も日本より厳しく、ゾウのオブジェなんか見てる余裕は全くなかった。 最後はちょっとバタバタの旅行だったが、インドは行く人によって好き嫌いが分かれるらしい。 オレ的には刺激的でエネルギッシュで美しい、一度は行くべき国だと思った。 ただ、色々買わされるので強い精神力が必要だね、この国は。 そして、この旅行が妻との最後の旅行になるとは、この時はまだ知る由もなかった。