1998


親にパソコン

1998.12.27(sun) 

 諺に「猫に小判」「豚に真珠」というものがあります.
もちろん双方とも「与えても意味がない」ことを意味するわけですが、
これを現代風にアレンジすると「親父にデジカメ」「課長にキーボード」にでもなるのでしょうか.
価値が分からないものの喩えを急速な技術の進歩の喩えに替えただけですけどね.
...ところが今回は状況が少々違ってました. 

 私が新しいパソコンを導入するにあたり、長年使ってきた愛機を親に譲ることになったのですが、
果たして使いこなせることができるのか、結局ホコリが被ることにならないのか、正直言ってかなり不安でした.
ただ、親も今回が「パソコン初タッチ」というわけではなく、この時に備えて(?)、
これまた私のお古とは言え、98ノートでゲームくらいは出来るようなっていました. 

「今日からはこの新しいパソコンがあるので98ノートは持って帰るよ」 
こう言ったとき、私の顔はおそらく鬼に見えたのでしょう、悲しそうな顔をしていました. 
まるで子供です.しかし、ここで甘い顔をすると前に進みません. 
「今度のパソコンはインターネットができるよ」 
この言葉が理解できたかどうかは怪しかったのですが、とにかく百聞は一見にしかず、
興味 のありそうなサイトに繋いで実践してみせました.

 その反応は私の予想に反して驚きに満ちていました.考えてみれば当然かもしれません.
誰しも生まれて初めて体験するものには驚嘆するものです.
初めてテレビを見た原始人と同じです(ちょっと言い過ぎ? ^_^;).とにかく、しきりに
「この画面(恐らくホームページのこと)は誰が作ったのか?」
という不可解な質問を幾度と無くぶつけてきます.原始人がテレビに向かって、
「この箱に入っているのは誰なのか?」
と言っているのと同じです.一通りの説明をしたあと、私のホームページにアクセスして
「これは僕が作ったホームページだよ」
と言って理解度抜き打ち中間模擬テストを行ったところ、
「ほぉ...」
と一応は納得されたような回答でした.

 ま、とにかく「ふるさと電脳化5カ年計画」はまだ始まったばかりです.
これからゆっくりと時間をかけて、洗脳...
もとい、パソコンの魅力についての理解を深めて頂こうと思います.
とりあえず、インターネット電話だな...

恥ずかしい旅行 1998.11.25(wed)-29(sun) 柄にもなくグアムなんぞに行って参りました. ヨーロッパや北米、東南アジアなら堂々と「行ってきたよ」と言えるのに、 「グアム」というと小声になってしまうのは私だけでしょうか.^_^; 一緒に行った仲間は会社の後輩達で、男三人、むさ苦しい旅の見本です. とは言っても気の合う連中なので、楽しいことには違い有りません. 旅行会社のパックを利用して、4泊5日終日フリーな「お気楽旅行」でした. 現地に着くなり暑くてダラダラしてましたが、感想もダラダラ書くと意味が 分からなくなりそうなので、箇条書きにしてみました. 1)ホテル  ・フジタ・タモン・ビーチ・ホテルって長い名前.            ・3階建てで何棟か並んでいた.                     →アメリカ中部のモーテルみたい.                  ・海からは非常に近かった.プール、テニスコートも完備されてた.    ・部屋はベッドが4つ、ソファーにテレビ、バストイレ.          →TVは各国の番組が1つずつくらい映る.             2)海  ・きれいで人も少ない.(シーズンオフみたい)               →少なすぎてナンパ不可能.(笑)                   ・中浅付近にナマコ多し.                        →蹴飛ばしてもコロコロ転ぶだけで張り合いがない.          ・遠浅付近は一面サンゴ.                        →サンゴの間にドッジボール大の巨大なウニがいた.          ・シュノーケリングが面白い.                      →ずーっとクラゲになってました.^_^;                ・浜辺の日陰はアリが多い.                     3)街、娯楽  ・ホテルのメイン通りは結構ひらけている.                 →しかし、ほとんど観光客商売の店.だから少々高い.          ・イルミネーションが多く、夜はきれい.                 →男同士でもお勧め.(オエ)                     ・買い物はほとんど免税店かショッピングモール.              →お土産はTシャツを買い込んだ.                   ・ディスコは外人ばかりで馴染めない.                   →終盤は放送禁止な振り付けで乱舞していた.               →レゲエorブラック系の選曲ばかりで少々不満だった.         ・ガンシューティングは高い($55)が迫力があって面白い.        →マグナム44はハンパではない.反動が怖すぎ.             →結構、真ん中に当たったみたいで「うまいね」と言われた.       ・タクシーの運ちゃん推薦のストリップに行った.             →ダンサーは結構若くて綺麗な人がいた.                →勝手に横に座ったおばさんに$25の酒をおごらされた.      4)交通  ・徒歩かタクシー.                            →ホテル専属のタクシーはタダ.                     →良くお勧めの店に案内される.(マージンを貰っているらしい)      ・レンタカーがお勧め.                          →初めての左ハンドル&右車線.左折が怖かった.           5)観光  ・大して見るところ無し.                          →滝とか橋とか見たが、大したことはない.                ・横井ケイブ.                               →横井氏が28年間こもっていた洞穴.ただの穴だった.         6)食事  ・値段もそこそこで結構美味しい.                     →レストランでは大抵日本語が通じる.                   →海鮮料理、ステーキが多い.                       →地元のチョモロ料理は食べなかった.                 ・結局一番安くて旨かったのはシーズラー.                  →ガイドブックにのっているような店は高い.             7)全体的な感想  ・予想より田舎だった.(自然が多いとも言う)                 ・とにかく熱い.真夏.                           ・帰ってきて日本は涼しくて良いところだと思う.              こんな感じです.どうですか、皆さんも行きたくなったでしょう?(笑)
前向きな集団 1998.10.16(Fri)  最近、友達から「合コン」なるものに誘われることが多くなってきた.  相手はだいたい20代後半のOL関係が多い.  大学時代は先輩から課せられる「合コン取得ノルマ」もあって、数多く  こなしてきたが、そういえば社会人になってからはほとんど無かった.  最近よく誘ってくれるのは、同じ会社の後輩達だ.  彼らのパワーは尋常ではない.  毎週のようにパーティーに出かけては合コンの約束を取ってくる.  自然、毎週のように合コンを開催しているらしい.  私のところにまわってくるのは、そのうちの一部というわけだ.  「そんなに取ってきて、相手を間違ったりしないの?」  と聞くと、その辺はプロ(?)である.「大丈夫です」と自信ありげに答えていた.  さすがに複数の携帯電話を使い分けているだけのことはある.  本日の相手は金融関係のOLだった.年齢は25〜28歳くらいか.  円卓のような座席で隣に座った女性は、吾輩に下を向くことを許さない  かのような丈の短いスカートをはいていた.(時々見てたが ^_^;)  「何を話せばいいのだ?」  初めは全体的にそんな雰囲気である.  しかし、さすがはプロ集団(私も^^;)である.  次第に合コンにおける「つかみ技」の数々を繰り出してきた.  「最近どう?」  「どうって、いきなり初対面の人に言われても〜」  「じゃあ、最近、てつ?」  「あ、その"どう"なのね...」  ...などと、あとで思い出すと恥ずかしさで鼻血が出そうな会話である.  しかし、あの雰囲気では何故か面白い.  そして何も生産性のない話が延々と続く.  しかし、吾輩は出された料理を食べることも怠らない.  もし、合コンが失敗だった場合、食べてないと更に後悔するからである.  案の定、今日の合コンは2次会まで行ったものの、失敗と言わざるを得ない.  失敗した理由は吾輩が食べてばかりいたからではない.  合コンに成功・失敗の定義は無いが、後味で明確に分かるものなのだ.  失敗した合コンに艶やかな「3次会」はない.  そこにあるのは、負け犬達による神妙な「反省会」だけだ.  とは言いながら、実は次回の予定を打ち合わせていたりする.  彼らは常に前向きな集団なのである.
パソコンの恐怖 1998.9.30(Wed)  先日、私のパソコンが原因不明の動作不良に陥ってしまいました. web巡回中、突如としてブラウザが停止し、そのままシャットダウン. その後、2度と起動しなくなってしまいました.... 話が長くなりそうですが、ガマンして聞いて下さい.  今使っているパソコンは96年2月に秋葉原のとあるパーツショップでバラ買いし、 自宅で組み立てたもので、もう2年半使っています.その間、CPUを交換したり、 ハードディスクやPCMCIAカードスロットの増設をしましたが、基本的にはそれほど 変化してません.パソコンの寿命が2年といわれる中で、よく働いてくれたと思い ます.その間、何度かトラブルに見舞われましたが、 そのたびに何とか解決してきました.  しかし、今回のトラブルは今までのように甘くありませんでした.電源を入れて も画面が真っ暗(サスペンド状態)というのは初めての経験です.しばらく腕組みし て考えましたが、寝てしまいそうだったので(^^;)とりあえずケースを開けることに... 久しぶりに覗く内部の構造.無駄な空間と無機質なフラットケーブルそして無秩序 に差された各種基板との混沌とした世界... また寝てしまいそうでした.^_^; とりあえず、やらなければいけないことは.... そう、各ボードの差込状態のチェックです. 以前、ボードの接触不良で誤動作した経験から自然に思いつく行動です. しかし、どのボードもしっかり差し込まれており、問題は無し. しばらく考えて、次に怪しんだのはハードディスク.「これがイカレてるんじゃ...!」 一瞬青ざめました.ハードディスクのクラッシュは家が火事で焼失するのと同義です. しかし、検証する手段はあります.2つ有るハードディスクは両方ともシステムがあり、 起動できる状態なので、マスターを旧ハードディスクに切り替えて、電源ON! 相変わらず「キュイーン」というハードディスクの回る音はするものの、依然として 画面はサスペンド状態.全く状況は変わりません. しかし、これでハードディスクがクラッシュしている可能性は低くなり、ちょっと安心しました. 続いて疑ったのはCPU.... 「BIOSが起動しないのは、もっと根本的な問題である」ことに気づいたのです.今ごろ...-_-; これを検証するのは簡単です.別のCPUを差し替えればいい.しかしそれは会社にある... ということで、休日出勤する振りして会社の私用パソコンからCPUを拝借...泥棒みたいだ.-_-; 「さてと....」CPUを取り替えて、ジャンパスイッチを変更.そして電源を入れます.緊張... 「キュイーン」という相変わらずの音、そして画面はあざけり笑うかのような沈黙.... 「じゃあ、一体、何が悪いんだぁぁぁぁ...」 時計を見るともう午前2時.深夜の亜空間に負け犬の悲痛な遠吠えがこだまします. 「あと残るはマザーボードしかないではないか!」 windowsの起動する音が聞こえないことからビデオカードは正常であると確信していました. さすがに、マザーボードは会社のパソコンと交換、って訳にはいかないので、その日は諦め. 次の日、どんよりした天気の中、秋葉原のジャングル街へ. 目的はただ一つ、「中古の安いマザーボード」をGETすることでした. 、と思ったのですが、どうも昔から衝動買いしてしまう私. CPUとモデムを買ってしまったのでした.^_^; 結局、探しまくったところ、ソ○マップの中古センターで今のと同等なマザーボードを見つけました. 3点でしめて2万円.痛い出費でしたが、多少グレードアップにもなったので良しとするか. 「さて、今度は大丈夫だろーなー」 普通の日本男児ならそう思います.期待を込めてスイッチオン! 「キュイーン」...そして...「カラカラカラ」、「・・・・!!!」 ハードディスクの読み込む音がするじゃないですか! 「よし、よし、よし、よぉーっし!」 お金をかけただけのことはあります.何とか起動. これでダメだったら、たぶん寝込んでいたでしょう. しかし、狂喜乱舞するも束の間、「○○○ファイルが壊れています」、 「デバイスの設定に問題があります」等のメッセージがモニターに.... 「まあ、なんとかなるやろ」と設定変更やらOS修復セットアップやらを繰り返すが、 結局、最後まで「○○○ファイルが壊れています」の忌むべきメッセージは消えず. 従って、いまだ「時々正常に起動するかもね」という、何とも不安定な状態のまま. これでは「まーいっか」という訳にもいかず、また苦悩. しかし、いくら苦悩してもダメなときは諦めて寝るのが一番ですな. 次の日、win98をインストールしてみることを思いつきました. 「これでダメだったら再フォーマットだな」 と、最悪の状況を一応念頭に、win98をインストールしてみます. すると、エラーが全く出ないではないですか! 「素晴らしい.....」 「正常な起動がこんなに気持ちよかったなんて.....」 ガガーリンが地球を見た時の心境が分かったような気がしました. そしてwin98のロゴ、さらに成功を祝福するかのようなファンファーレ. 私はここ数日間の思いを振り返り、涙せずにいられませんでした. 「ありがとう、マザーボード!」 「サンキュー、windows98!」 しかし....よく考えてみると、ただ元に戻っただけなのであった.-_-;
肺ガン 1998.8.23(Sun)  父親の「肺ガン」を聞かされたのは梅雨もまだ明けない7月の終わり頃でした. 母親に詳しく聞くと、人間ドックで受けた検診でレントゲン写真に影があるとのこ とで再検査を受けたところ、肺ガンであることが判明したそうです.母親は相当に ショックを受けていたようで、電話越しに聞こえる声が非常に沈んでいました.   実は今回の帰省の目的は父親の肺ガン摘出手術に立ち会うことでした.しかし、 不思議なことに帰省の道中も手術までの時間も私はそれほどショックは受けていな ようで、むしろ「とうとう来たか....」というのが最初の実感でした.父親は それほどヘビースモーカーではないのですが、日頃から「煙草やめるくらいなら、 死んだ方がましじゃ」なんて言っていたくらいですから、父親の肺ガンは私からみ れば不思議ではなかったのです.                        しかし、当日の手術中、待ち合わせ室で母親と二人で待っている時間は長かった. もちろん時間も長かったが、辛いという意味で長かったです.「もし、手術が失敗 して...」なんて考えると目に熱いものがこみ上げてきます.母親はもっと気が 気ではないでしょうから、私はなるべく話をして時間をつぶすことに神経を費やし ました.待つこと5時間....手術室より先生が出てきました.         「無事、終わりました.」良く覚えていませんが、先生から発せされた第一声は 確かそんな言葉だったと思います.とりあえず安心したのも束の間、先生は母親と 私の目の前に、たった今切除したばかりの肺の一部をまるでスーパーに売っている レバーでも扱うかのように出してきました.「これが切り取った肺の一部で、右肺 の約1/3にあたる上葉です.これがそのガンです.」と説明をはじめ、白い部分 を指してガンの部分を見せてくれました.私は最初、大きな黒い部分がガンかと思 ったのですが、それはリンパ腺がニコチンに冒されている部分とのことでした.確 かに他にも黒ずんだような斑点が肺中に点在していて、「酷いものだな」と感じま した.ガンの部分は白く、大きさは貝柱程度で早期のガンだそうです.しかし摘出 したからといって安心は出来ず、ガンがリンパ腺に転移していたら、今度は本当に まずいそうです.それが分かるには数週間後に出る精密検査の結果を待たなければ なりません.ああ、心配事がまた増えてしまった....             とにかく、今回は人の生死について真剣に考えさせられる出来事でした.     皆さん、煙草は人類のガンです! 自分だけではなく他人をも殺してしまうかも しれません.マナーなど守っている場合ではありません.即刻やめましょう!  
歯医者 1998.7.25(Sat)  最近のインターネットはほんと便利な道具だと思います.前から気になっていた 歯並びを治そうと、検索エンジンを使って探してみたんです.そうしたら、歩いて 5分くらいのずいぶんと近所に良さそうな歯医者があるじゃないですか! びっく りしてしまいました.で、早速今日、行って参りました.             最近の歯医者さんもずいぶんインターネットやパソコンを使うようになってきた ようで、いきなりパソコンを使って「歯の重要さ」なる講義(?)を聞かされました. 歯医者さんも最近余剰気味で生き残りが厳しいのか、いろいろ考えているようです. しかし、あの「おしゃべりキューピット」の無機質な発音は、これから起こる事態 の恐怖を予感させるのに十分なものでした.                   歯並びを治す、って初めは簡単に考えていたのですが、次第に私の頭でも事が重 大であることを認識していきました.まず、矯正しないのであれば、普通「差し歯」 になるということ、従って歯を抜かなければいけないということ、更にその前段階 として歯の神経を抜くために穴を開ければならないということ、これらは当初の私 にとっては想像したくない事実でした.しかし、そうやって私がゆっくり熟考して いる間もなく、「いくよ」と一言呟いたかと思うと、ドクターは金属のこすれる音 がするドリルのような武器で私の歯の裏側を「ガガガガ、キュイーン」と工事を始 めてしまったのです.時々襲ってくる、想像を絶する痛み....これは拷問です.  しばらく悶絶していると、「今日はここまで」の愛のお言葉.不幸はそう長くは 続かないものです.これでやっと帰れるのでした.帰れる家があることをこんなに 幸せに思ったことが今まであったでしょうか.                  次回の診療は来週の火曜日です....-_-;                
昇格 1998.6.24(Wed) ねーねー、聞いて下さい! 今日、実はテニススクールの練習日だったんですけど、 練習開始早々、コーチに呼び出されて、怒られるのかと 思ったら「レッドに上がっていいよ」って言われました! レッドって言うのは6段階あるクラスの中で一番上の クラスで、なかなか上がれないクラスなのです. もう3年も2番目のクラスだったので、 今まで少々不満もあったのですが、 認められたという嬉しさで涙が出そうでした. ずいぶん長い間忘れていた嬉しさです.ToT
たこやき 1998.5.12(Thu) 何を隠そう、私はたこ焼き&お好み焼きが大好きです。  今日、実は会社の帰りにお好み焼き食べてきました。 あ、言いましたっけ? 大井町付近にすんでいるの。 今は寮に住んでいて会社から自転車で約20分位なん ですが、その途中に今まで探し求めていたお好み焼き 屋さんがあったんです。ちょっと大袈裟かもしれませ んが、この付近には無いと思っていたので宝物を発見 したようなうれしさがありました。やはり、関西人の 血が流れているのでしょうか、お好み焼き&たこ焼き が時々無性に食べたくなります。兵庫の田舎では近所 も皆、「たこ焼き器」なるものを所持していて、休日 の昼食なんかは「それ焼いて食べとき」なんて親に言 われて食べていたものです。(今思えば、親の手抜き だったことが分かってきましたが...)       皆さんは「明石焼き」って食べたことあります? 普通のたこ焼き(?)に比べてかなり大きくて、ソース の他にだし汁につけて食べるんです。以前、僕の友人 はそれを知らなくて、だし汁をスープだと思って飲み 干して店の人に笑われていました。おばかな奴でした。 わはははは。                  
風邪と闘う 1998.4.9(Thu)  その兆候は以前からあったのです.私は滅多に風邪はひかないのですが、今回は さすがに睡眠不足の連続で風邪をひいてしまいました.まず、のどが痛くなります. この段階では、空気が悪くて痛いのか風邪なのかは今ひとつ決定的ではありません. 次にくしゃみが出てきます.そしてその頻度がだんだん増えてきて、鼻水も次第に 多くなってきます.こうなるとさすがに私も風邪を自覚しました.「こりゃいかん」 ということで、とりあえず対策を打ちます.私はほとんど薬は飲まない人で、今回 もいつものやり方で治すことにしました.その方法とは非常に簡単で「熱い風呂に 入ってすぐに寝る」だけなのです.この「熱い」というのと「すぐに」というのが ポイントで、我慢の限界まで熱くしたお湯に、これまた我慢の限界まで長く入りま す.要するに汗をかいてしまえばいいのでしょう.そして体が冷える前に厚い布団 に入れば朝起きると寝小便をしたかと思うくらい汗でびっしょりになっています. これを2、3日続ければ間違いなく治ります(あくまでも私の場合).        しかし、今回のはかなりひどかった.鼻水のあとは頭痛に寒気が襲ってきました. まるで、風邪のフルキットです.特に一番辛いのは頭痛ですね.これがひどくなる と我慢できないくらい辛いです.思わず、「助けてくれ〜」と一人叫んでいたりし ます.でも、これも気の持ちようです.「この頭痛は、我が白血球部隊が風邪ウイ ルス隊に敢然と立ち向かっている証拠で、鼻水は敵軍の屍なんだ」と思えば勇気も 百倍です.                                  結局、風邪をひきはじめてから完治するまでに1週間かかったでしょうか、結構、 辛かったです.皆さんも、睡眠だけは充分に取りましょう.            では、お大事に(あ、俺か? ^^;).                     
幹事の独り言 1998.3.29(Sun)  今日は今年第2回目のテニス練習日でした.毎週日曜日、会社のテニス部のメンバーで横浜 を拠点に活動しています.何故か、私がその幹事をやっています.幹事というのは一見、栄誉 ある仕事のように見えますが、やってみると全然そんなことありません.実状は雑用係だった りします.それはどんな集まりにおいても言えることかも知れません.事実、あまり幹事に成 りたがる人がいないのも、その証拠でしょう.                       しかし、私はよく幹事をやることがあります.ある意味で幹事をやることに慣れてしまって いるのでしょう.他の人も私がまた幹事をやるんだろうな、くらいの気持ちなんでしょうねえ. しかし、両者の間で決定的に違う点があります.それは、それぞれ「誘う側」と「誘われる側」 であるということです.なにも物理的に面倒だとか、そういったことだけではないのです.つ まり「誘われる側」は精神的に非常に楽なのです.その背景には「誘う側」は必ず「1」であ るのに対して「誘われる側」は「多数」であることが多いからです.要するに「誘われる側」 としては自分がその誘いを断ったとしても、相手に与える精神的影響は少ないだろうと考える からです.いわゆる「大勢の中の自分」という心理学に基づく行動です.一方、「誘う側」で はどうでしょう.「断られる」恐怖を抑え、勇気を出して誘う.しかし、結局断られる.これ によって「誘う側」が受ける精神的ダメージがどれほど大きいものか、幹事を経験した人以外 は分からないでしょう.                                 それでも、相変わらずいろんな幹事を進んでやる私、なんていい奴なんだ〜 (ToT).... とでも言わなきゃ、幹事なんかやっとれっかい! 凸(`^#)               
デジタル・カメラマン 1998.2.24(Tue)  今一番欲しい物....それは「デジカメ」です.最近のデジカメの進歩は著しいものがあります. ついこの間までは35万画素っていえばそれなりのスペックだったのに、今ではもう平均的普及モデル になってしまいました.最近では10万円前後でメガピクセルクラス(100万画素)のデジカメが手に 入ります.                                           何を隠そう、私は高校生の頃、写真部でした.とは言っても、そんなに真面目に活動していたわけで はなく、普段はトランプばかりやっていたので、通称「トラン部」と呼ばれているような部活でした. しかし、文化祭の前になるとみんなにわかに慌ただしくなります.白黒のフィルムをポケットに、自前 の一眼レフで人物や景色などを撮りまくっていました.当時持っていたカメラは、そう、知る人ぞ知る キャノンのAE−1でした.確か中古で4万円だったと思います.友達なんかはもっといいやつ、そう、 これも知る人ぞしるニコンのF−1とか、ミノルタのα−○○とか持ってました.まあ、私はその頃、 あまりカメラ自体には興味がなかったようです.でも、写真は好きでしたねえ.自分で撮ったフィルム を真っ暗な暗室の中で現像してプリントするのは、なかなか期待と不安でドキドキするものがあって 楽しかったのを覚えています.                                  あれから十数年、ホームページ開設という機会のお陰で、再びカメラを手にすることが出来ました. 但し、カメラはカメラでもフィルムのいらないデジタルカメラです.今やもう、その画質は従来の銀塩 を越えるとまで言われています.確かに今までのカメラも味があっていいのですが、新しいもの好きの 私としてはこれを放っておくはずがありません.で、やっと出ました、一眼レフタイプのデジカメが. 昨年の10月頃に発売されたオリンパスのC-1400L(C-1000L)というタイプです.いろんな情報を探って みてもなかなか優れもののようです.但し、非常に残念なのは絞り優先/シャッタースピード優先など のマニュアル操作が出来ないこと! これでは一眼レフと呼ぶには少々きついかも知れません.でも、 やっと期待していたものに近いカメラが出たので、とりあえず購入しようかと考えています.      これからはデジカメが主流になって行くんでしょうねえ.でも私はあの定着液の強烈な酢酸の臭いは 生涯忘れないでしょう.うまく撮れたかどうか確認する時のドキドキ感は今も昔も変わりません.  
豪雪地帯 1998.1.31(Sat)  プロのスノーボーダーはスノーボードのことを「スノボー」と呼ぶのをやけに嫌います. でも私は全然プロではないので「スノボー」で許して下さい.        今年2回目のスノボーは上越国際です.東京から関越トンネルをぬけて約4時間、結構 遠いです.関越トンネルをぬけるとまるで国境を越えるように気候が変わります.神立、 湯沢、一連のスキー場を横目にどんどん北上して、塩沢石打ICで下りると近いです.  朝3時頃出発して早く到着しすぎたので、車中で1時間ほど寝ることにしました.で、 目を覚ますと....雪が降り始めていました.滑り初めてからもずーっと降りっぱなし で、視界が悪くて危険でした(でも雪質は非常に良かったです).            まあ、そんなことはどーでもいいんです.私が言いたいのはこの地方の積雪の凄さ!! 国道といえども雪の壁が2m以上もありそうです.さすがに町中では道路のセンターライ ンから水を放出して雪が積もるのを防いでいましたが、少し測道に入ろうものなら、上下 左右が全て雪状態、まるで雪の巨大迷路です.この辺りは"こしひかり"がおいしいところ なのだそうですが、冬は豪雪地帯と化すようです.                   宿は会社の契約ホテルだったのですが、案内地図が超不親切だったので、雪の巨大迷路 の中、探しに探しました.国道からはいる横道は全て景色が同じに見えます.「この道、 さっき通たっけ?」、なんて会話が始まります.豪雪の中、道に迷うのは結構、恐怖です. 「スタッドレス+四駆」は最強の装備だと思っていました.しかし、雪道の下り坂はなめ てはいけません.左にカーブしようと思い、少しブレーキを踏むと全くコントロールが利 かなくなりました.タイヤがロックしてしまったようです.で、そのまま雪壁に激突... 「ひえ〜、やってしも〜た」と叫びつつ、車の前を確認.全く傷一つありませんでした. 強化バンパーは伊達ではないことを実感しました(ほんとは対カンガルー at Austlalia).  道中、「雪崩注意!」という電光掲示板が目にとまりました.言われたとおり注意して いると、なんと道に面した民家の屋根から雪崩が発生しているではありませんか! よく 見ると屋根の上にはスコップ持ったおじさんが居るではないですか. 「道路に落とすなっちゅーねん」  帰ってから車が気になり、雪壁にぶつけたところを見てみると、傷やへこみは無かった のですが、ナンバープレートが内側に折れて「ヤンキー四駆」になっていました.


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